小説

『スーパー竹取物語』野村知之(『竹取物語』)

 こうして皇子は、「生涯で、これ以上の屈辱はない。かぐや姫を妻にできなかったばかりか、世間の人たちにどう見られて、どう思われるか、考えるだに恥ずかしくてやりきれぬ」と悔やんで、たった一人で深山に入っていった。邸の執事や従者たちが、八方手を尽くして探したが、死んでしまったのか、とうとう見つける事ができなかった。
そのじつは、皇子が恥ずかしさのあまり、家来の前から身を隠そうとして、何年ものあいだ、姿を見せなかったのだ。
 これが、「玉さかる(魂離る)」の言い初めである。
   『竹取物語』第四節 蓬莱の玉の枝(くらもちの皇子の話)より

 はたして金玉であったのか、それとも銀玉だったのか、何玉だったか思い出せぬ。ともかく玉の枝だったことは確かである。それを姫につっ返されて、竹取邸からすべり出たところまでは覚えておる。日はとっぷりと暮れていた。月は無し。濃墨を目の玉に浴びせかけられたかのごとき暗闇から、卒然として闇が明いたかと思わば、眼前にはこれ一面の青海原が広がっていた。いったい何が起こったものやら、とんと見当がつかぬ。
 私は小船に乗っていた。粘り気のある風が、肌にまつわりついてくる。四方を見やれば、たゆたうものは波ばかりである。塩っぱい匂いが鼻をついた途端、続けざまにくしゃみがでた。そうして四肢を見やれば、まとうものは潮風ばかりである。私は丸裸であった。
 長四角の船の上には、布一枚あらぬどころか櫂すらも置いておらん。白っぽくすべすべとした甲板に、日差しが照りつけては又照り返している。地平線を見渡しても、島影ひとつ見あたらんかった。
 妙なことに気がついた。影が無いのは島だけでない。私の影も見あたらぬ。甲板の上はもちろん波間にも、どこにも影が差しておらん。だのに私自身の体は、たしかにここに有るのである。でなくばこれほど暑いはずはない。まるで太陽が十ほどもあるように感ぜられる。堪らず空を見上げると、すわや十どころではない。数え切れないほどの太陽が、天に敷き詰められているではないか。一つ一つの明かりは弱いものの、やに白々とした無数の光が、一糸まとわぬ私の身体を、あらゆる方向から灼いているのだった。
 これは彼岸まで来たな、と思った。私はなすすべも無く寝転がった。空は青い。雲は白し。広がる海も青くして、浮かぶ船もまた白である。上も下もおんなじ色の調子であった。天地があいまいになったところへ、ぽかりと私が浮かんでいる。生まれたままの姿で。

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