小説

『晦日恋草』霜月透子(『好色五人女』巻四 恋草からげし八百屋物語)

 長机越しに大きな溜息で責められる。
「どうしてこんなこと……」
 ゆっくりと顔を上げる。中年の男性が困り顔で見つめている。朗さんと似ても似つかない。いや、きりりとした眉の形だけが彼を思い出させる。
 彼は――朗さんはどこ?
「えっと、店長さんは……」
 空気が喉に引っ掛かりながらも、どうにか声となって出た。
「私はね、店長じゃなくてオーナーね。だけどね、奥さん。そんなこと今はいいから。いい年してなにしてんの。ほら、まずその手に持っているのをここに置いて」
 長机を平手でバンバン叩く。私は言われるままにマフィンを置いた。ただ目の前に置いただけなのにパッケージのビニール袋がガシャリとやけに大きな音をたてた。
 俯いた拍子に涙が零れる。小鼻の縁を辿る雫を拭おうと挙げた左手首で腕時計がカシャリと身じろぎした。

 
 結婚以来初めて自宅で迎える年越し。
 一は荷物を玄関に放り出して出掛けたまま。夫はスウェット姿でリビングのソファで居眠りをしている。
 テレビの中では騒がしくカウントダウンが始まった。
 ――五、四、三、二、一。明けましておめでとうございますっ!

 
【1月1日】

 カシャリ――。
 外した腕時計を両手で包み込む。
 あの人の温もりが沁み込んでいる腕時計。
 今日なら会えるかしら。
 今度こそ朗さんと向かい合うひと時を私は夢想する。

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