小説

『メイキング・オブ・吾輩は猫である』野村知之(『吾輩は猫である』)

「そうね、お腹の中まで黒いんじゃないかしら」
 愛してるよ、キョウコ。なにはともあれ抽象的になってきたようだ。そういう意味でとってくれるしらんと思いかけた時。――しかしきみ、こいつはどう見ても三毛だよ。仰るとおりだった。
 我々は作戦が失敗に終わったことを悟った。撮影は中止だ。目をつむり〝憑依〟を解こうとしたその時、信じられない言葉が耳を打った。
「旦那、こいつは福猫ですな」
 何故かね一般には黒が福だというが。
「こんな上等な毛並みは知らねえ。ごらんなさい、ふくふくしてまさあ」
 つまらん洒落だが梅さんが言うなら福に相違ない、鏡子うちに置いてやりなさい。私は目を開いた。我輩は福猫である。
 キョウコの腕に収まった私を目にして、漱石がはたと黙り込んだ。そこには確かな閃きの光があった。紛れもない作家の眼差しだ。そうしてつと起き上がると、廊下へ急いで出ていった。
 どうやら手触りが決めてだったらしい。ともかくこれで私の仕事は果たした。野だとキョウコの二人を見ると、態度には出さないまでも安堵している様子だ。伊達に長年付き合っている訳じゃない。梅さんがのそりと立ち上がった。
「それじゃわたしはこれで」
 ええ、ご苦労さま、とキョウコが送り出す。書生も今度は洋々と、車を呼びに飛び出ていく。私も軽い足取りでついていった。いえ、奥さんここでけっこうと言って、玄関で引き取る按摩。
 門口でたっているのは、私と梅さんだけだ。カメラはまた東へ向かう路地を映している。こつこつと私の目の前に杖がつかれた。按摩がこちらを見下ろしている。そうしてにんまりと笑った。
「わしは耳も良くってな。猫の足音だって聞き取れるほどなのさ。書生さんとのやりとりも聞こえちまったよ。お前さん方は神通力を持ってる幽霊らしい。おかげで、黒くもない猫を福猫と言わされちまった」
 尻尾が反り返るほど驚いた。梅さんは知ってたのか。予定調和もなにも、上手くいったのは全部、彼のおかげだったのだ。私たちをからかいながらも、ちゃんと収まるべきところへ収めたのである。やはり文豪お抱えの按摩だ。只者ではなかった。私は思わず言葉を漏らした。
 (おみそれしました)
 ニャーンと猫が鳴いた。

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