小説

『メイキング・オブ・吾輩は猫である』野村知之(『吾輩は猫である』)

「なに言ってやがる。按摩も役者だろ、そのぐらいの機転はきくさ」
「どこかの演技派ぐらい気のきいたアドリブが言えればな、予定調和を乱すぐらいの。なんだ、やはり把握していないのか」
「なにを」
「按摩には〝憑依〟していない。視界がきかないから、PVが使えないのでな」
 私は宙に放り出された。すわ墜落死かと思った刹那、体が独りでにひらりと舞い、自分でも驚くほど見事に着地した。野だの顔面は、坊主頭と区別がつかぬほど真っ青になっている。
「まずいじゃねえか、このやろう。どうする、墨でも塗りたくっちまうか」
機転がきいていない。
「落ち着けよ、相手は目が見えないんだ。それなのに、何故色が分かったのか。誰かが言ったんだよ。漱石か、妻の鏡子か、もしくは書生かが」
「そうか、白を黒に。いやさ三毛猫を黒猫にすりゃあいい。按摩中の漱石には見えやせん。いくぞ時間がねえ。いいかお前、くれぐれも邪魔すんなよ」
 私はおとなしく、この身を任せた。
「どうせなら、漱石にも憑いちまえばよかったんだ」
「目ばっかりは、ごまかせない。進行通りにいけば、何の問題もない場面だ」
 野だが顔を歪めた。
「今だから教えてやるよ。俺はお前が大嫌いだ」
「私もだ。昔から気が合うな」
「猫は黙れ。マイクは切れ」
「そうしよう。うっかり名台詞でも吐きかねん」
「黒猫でなく、お前が死ぬ予定だったんじゃねえか?」
 そうして仲良く廊下を進むと、座敷間から人が出てきた。漱石の妻鏡子だった。どこまでも淑やかに、粛々と歩いてくる。私たちを見咎ると、理想的なカーブを描いた眉をひそめた。声を殺してこう言った。
「遅かったじゃない。何してたの」
 野だが私を首で指した。
「例の黒猫が交通事故で死んじまった。だから代役を連れてきた」
 マイクを切った。これで、私は猫である。

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