小説

『あたま山』鴨塚亮(『あたま山』)

 おれは、そのサクランボをつまみ上げて、口の中に放り込んだ。
 涙が止まらなかった。
 種があったが、気にせず飲み込んだ。

 目覚めると、週末が終わっていた。
 熱は下がったが、ずいぶん汗をかいたらしい。背中が気持ち悪かった。部屋中の電灯も点いたままだった。
 窓を開けると、生あたたかい夏の風が吹き込んだ。
 布団に横たわったまま、携帯電話でスケジュールを確認した。午前から、外での打ち合わせの予定がある。行かなければならない。
 身だしなみをととのえる暇はなかった。キッチンで顔を洗い、椅子にかけてあった服を着た。
駅まで走らなくては。でも、思い切り殴られた後のように、脚に力が入らなかった。

 何とか待ち合わせ場所の喫茶店に着くと、小さな音量でクラシックの流れる店内は、机も椅子もちょうど良く煤けていて、落ち着けそうないい店に見えた。
おれを待っていたのは、長い脚を組んだ美人だった。悪くないすべり出し。
 まず、待たせたことをあやまった。もちろん丁重に。
 だが、顔を上げると、彼女はびっくりしたような顔をしていた。
「どうかされましたか?」
 訊くと、いいえ何でも、と変に高い声で言った。それから、大した商談もしないうちに、用があるといって、見事な脚さばきで、さっさと出て行ってしまった。五分くらいしかいなかった。
 何か失礼なことを言ったのか、考えたが、わからない。それほどジロジロと見たつもりもなかった。
 先方が提案してきた打ち合わせだったのだが、残念だ。
 おれは「打ち合わせ」と書いた手帳のページを破った。
 体力的には助かった。朝食抜きだから空腹だったし、病み上がりで目眩までした。うまく頭を支えていられない。
「卵サンドください、あとコーヒーおかわり」
 店の奥に声をかけた。

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