小説

『注射を打つなら恋のように』入江巽(『細雪』谷崎潤一郎)

 けど、やがて、部屋に招き入れてくれ、ああこういうこと、とわかった。いまではあたしもレコードのかけかた、覚えました。
 レコードを何枚も繰っていくと、ドンドラさんのいたスカタライツの七インチ見つけた。ドン・ドラモンドいう、ドラえもんみたいな名前のトロンボーン吹く人を教えられてから、なんとなくこのひと、ドンドラさん、と呼んでいた。そういえば、ドンジャラしたいな、りつおと。
 ドンドラさん、かけよう。
 マン・イン・ザ・ストリート、これもりつおが気にいっているやつで、あたしもすきになった曲やった。ヴォーカルは入ってなくて、ギターのスッチャカスッチャッカや、ホーンのパッパー、が繰り返されていくうちに、気持ちがよくなったり、さびしくなったり、自分がかっこよくなったような気のする、へんな曲やった。これも、アルトン・エリスといっしょでジャマイカの音楽らしい。あつい国の響き、とても寒い十二月にいまひとりで聞いていると、お酒のみたくなってきた。
 あたしがよく飲みたがるので、買っておいてくれたジン、ボンベイサファイヤの飲みさしを冷凍庫から出して、ちいさなグラスにとろりと垂らして、それをゆっくり飲みながら待つことにした。帰ってくればなにかふたりで食べに出るんかナ、思っていたので、ごはんを用意したりはせん。今晩、りつおと焼き鳥がたべに行きたいナ、あたしは勝手に思っている。
 とても冷たいジン、おなかのなかにぽたりぽたり落ちるたび、ぞくっと寒くなって、おなか壊したらいやだなとは思うけど、すぐにポヤッとした気持ちになって忘れ、スッチャカスッチャカもパッパーもからだになじんでいくようで、冷たかった部屋の空気も、コート脱げるくらいには徐々に暖かくなり、ここに自分がいることの、わずかな違和感も消えていった。

 なかなか、帰ってこんかった。六時四十七分と七時十五分に電話したけれど、電源がはいってなかった。三通おくったラインの既読も、つかなかった。もうすぐ、七時四十分になる。マン・イン・ザ・ストリートは三分半くらいの曲、せやから三十回くらいもう聞いている。
 ちょっと酔ってきた。スッチャカスッチャカやパッパーの響きがかくしている寂しさばかりが耳につくようになってきて、そして、ひどく心配にもなってきた。
 なんか、あったんやろか。部屋の居心地がふたたび悪くなってきて、落ち着かなくなった。あんまり酔うとどんどん感情的になってしまいそうで嫌なのに、ジンをどしどし飲んでしまう。マン・イン・ザ・ストリート聞くのもうやめよ、レコードの針をあげた。部屋はとたんに静かになって、はっとする感じで、すこし落ち着いた。そして、動きを止めた七インチの曲のタイトル書かれたラベル見たとき、りつおはいま路上にいる、と急に確信した。
 約束わすれて、新今宮にシャブ引きにいったんや。絶対、そうや。金曜は引ける確率が高いような気がします、言うてたもん。もう十分あったかくなった、静かになった部屋で、ボンヤリ座って、ジンのみながら、おしりからだんだん冷えるように、悲しなっていった。自分のスマートフォンの電源、落とした。

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