小説

『面白い勝負』℃(『平家物語』)

 一本の風が小舟を貫いていった。
 勝負の行方はいかに。
 小舟の男は革手袋をはめていない右手で、ゆっくりと兜の上を探った。
 そこに扇の感触はない。
 すぐさま視線を上に向けると、夕と夜とが混在した空に、金色の扇が鳥となって舞っていた。
 決着はついた。
 海も人も歓喜する。
 そして――

   これだから、「野球」は面白い。

 ドーム球場の巨大スクリーンに現れた文字に、数万の観客たちが歓声を上げた。
 野球の世界一決定戦、決勝。日本とアメリカが対決し、この時代の最強を決定する。
 試合前の演出として流れた今の映像に触発されて、ドーム球場全体が喝采に揺れていた。歓喜の中から飛翔するジェット風船、さらにポップコーンやビールの泡も宙を舞っている。
 観客たちの中には、決勝を戦う二チーム以外のユニフォームも混じっていた。彼らは野球を心から愛する者たち。決勝戦が始まるのを早く早くと心待ちにし、今回の趣向を大いに楽しんでいた。
 そんな喧噪冷めやらぬ中、再びスクリーンに映像が流れ始める。
 観客たちは興奮を口にしたまま、映像を見つめた。
 ナレーションが語る。

   海面が夕暮れに揺れる中、
   赤い旗を掲げた小舟が一つ、
   血の臭う浜へと近づいてくる。

 さっきと全く同じ。運営側が気を利かせて、アンコールに応えたのだろうか。
 映像は滞りなく進んでいく。

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