小説

『町が見た夢』戸田鳥(小川未明『眠い町』)

 姫は目の前の老人が夢のなかの男だと、かつての王だと知りました。その名を呼ぼうとしたけれど、砂が喉に詰まっていて声が出ません。姫は横たわったまま、指先で老人の頬をなぞり文字を書きました。老人が忘れかけていた自身の名、かつての王の名前を。そこでようやく老人は悟りました。砂に埋もれた娘の正体を。自分をひたと見つめる姫の名を口にすると、老人のからだは若い王の姿に戻り、王は力強い腕で姫を抱きしめました。若い王は姫の上にぽろぽろと涙を落とし、涙の水が姫の顔を洗い流しました。姫がほほえみ、その息を王に吹きかけると、王は一生分の疲れに襲われるのを感じました。長年疲労の砂漠に埋もれていたので、姫のからだはすっかり疲労の砂に侵されていたのです。二人は手を取りあって、深い眠りに落ちていきました。やがて砂漠の砂がすべてを覆い、ふたりの姿はすっかり消えてしまいました。

 老人の去った眠い町では、疲労の砂の効力が失われました。眠っていた鳥たちが太陽と風を呼びこみ、町は目を覚ましました。この町を怖れて寄りつかなかった人間たちも足を踏み入れるようになり、孤立していた町はあっという間に、ビルの間を車が行き交う町と化しました。
 ある時、この町にひとりの男が立ち寄りました。男はその昔、疲労の砂を託された少年でした。砂をすべて撒いてしまえば王にしてやろうという、老人との約束のために戻ってきたのでした。しかしこの町はもう眠い町ではなく、あまりの変わりように男は茫然と立ちつくしました。町じゅうに聞いてまわっても、老人のことを覚えている者はありません。男は落胆のあまり、ビルの階段に腰を落としました。たくさんの煙突からもくもくと煙がのぼり、青い空を灰色に染めていました。長いあいだ考え込んでいた男は最後に深いため息をつき、ゆっくりと立ち上がりました。石畳の間から顔を出していた小さな野の花を踏んづけて、その足で男は町を去りました。
 花は踏まれて傷ついた花びらを空へ向け、どこからか風が吹いてくるのを待っていました。

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