小説

『狸釜』化野生姜(『ぶんぶく茶釜』)

…玄関で靴を履いていると、住職の奥方が後ろに立っていた。
起き抜けらしく、寝間着姿でその目はどこかどんよりとしている。
彼女は口を開くと、ひどく憔悴した声で言った。
「津村様は、先ほどの光景を見られましたか?」
私がその質問にうなずくと、奥方は小さくため息を漏らした。
「…主人の酔狂にも困ったものです。突然、山奥であんな古ぼけた茶釜を拾ってきたと思ったら、それを飽きもせずに毎日ああして眺めているんですよ。…確かに、昼間は空っぽなあの茶釜が夜に動き出すのはおもしろいと思います。でも私は、何かあれに嫌なものを感じるんです。…あなたも、そうは思いませんか?」
そう言われて、私は返答につまった。
私も、ちょうど同じことを考えていたからだ。
どろりと濁った目。開いた口からだらしなく垂れさがった舌。
のたうち回るといったほうが適切なほどの、あの奇妙な動き。
私は、あの茶釜から出た狸に何か不穏なものを感じずにはいられなかった。
私はたまらなくなり、話題を変えるためこの家に何匹か猫がいたことを思い出すと、奥方にそれとなく聞いてみることにした。すると奥方は、急に十年も二十年も老け込んだような顔になると悲痛な声を漏らした。
「…うちの子たち、今、行方がわからないんです。あの茶釜が来てから、一匹、また一匹といなくなって…猫だけじゃないんです。先代から飼っている鯉もいなくなりましたし、近所の鳥の声も聞こえなくなったんです。…時おり、まるでこの辺りの生き物がいなくなってしまったような、そんな感覚さえ、覚えるんですの…。」
そうして、悲しそうに笑う婦人に、私は何も答えることができなかった。
私は短く礼を言うと玄関を出た。
外に出ると、遠い空の向こうで冬を告げる雷が鳴っているのが聞こえた…。

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