小説

『座布団』村崎香(田山花袋『蒲団』)

 彼女はソファーに座って、眠っているようだった。しっかりと腰をかけてソファーに沈み込み、頭と首を傾けて寝顔を無防備にも晒していた。俺が目の前に立っても、彼女の顔が俺を捉えることはない。
 そのままそっと屈み込んで、彼女の顔を初めて間近で眺めた。長い睫は切り揃えたわけでもないだろうに同じような長さで上向きにカールしているし、頬の産毛は蛍光灯に照らされて白く輝いている。唇は適度な厚さで、薄くない分だけ柔らかそうに見えるし、果物を想起させる桃色だ。
 ふと、ブラウスの襟元に目線を落とした。首元までボタンを閉めるデザインではないので、襟が肩に向かって開き、露になった首元には華奢な天然石のペンダントが揺れている。決め細やかな肌と、折り目のない襟が清潔感を出し、そして綺麗だ。その綺麗な肌に思わず顔を寄せていたことに気づいて、思わず距離を取る。
 胸の膨らみは控えめではなく、それなりのものである。少し離れたところから見ても膨らんでいることが十分に見て取れる、なかなかの体型なのだ。手を伸ばしたい衝動に駆られながら、しかし彼女が目を覚ましてしまう恐れが沸き起こる。
 どのくらいそうしていたかはわからなかったが、結局何もできず、俺はスマートフォンに手を伸ばしたのだ。休憩室を出てから、彼女を起こすために電話をかけたのである。

 彼女が纏う芳香は、柔軟剤のものらしい。
 冬の寒さが和らぐ頃になって、彼女が退職することを知った。元々一年間の契約であったこと、来年度は契約を更新しないことを上司に告げられて、頭の中が真っ白になった。息は苦しく、耳に詰め物をされたかのように周りの音が聞こえにくくなった。
 社内に彼女が退職することが知れ渡り、人柄の良い彼女を慕っていた者が多かったと見えて、毎日のように餞別が届けられた。その中の一つ、お局様のような年配の女性社員が持ってきた洗濯セットを見て、彼女が声を上げたのである。
「これ、私が使っている柔軟剤です」
 彼女と同じ柔軟剤を使っているお局様が同じような匂いを纏えないことからも、彼女の特別さが際立つという、何とも皮肉な展開であった。

1 2 3 4 5 6