小説

『座布団』村崎香(田山花袋『蒲団』)

 他の新入社員の女性たちは化粧や鞄や靴などの持ち物に気を遣い、時として黄色い声を上げて男性社員とのコミュニケーションを図っていたが、それをしなくとも彼女がいるだけでこの場は華やかになった。彼女は自ら女性らしさを発揮することはないが、文房具などの小物の柔らかな色合いや、これも自宅で淹れているらしい水出し紅茶のボトルなど、かもし出すものに関しては十分すぎるほどである。柔らかな髪が揺れる様も、そこから漂う芳香も、また何てことのない雑談の折々に、俺は随分と楽しませてもらえるようになった。
 俺は彼女の隣の席に座っているというだけで、彼女の教育係になった。会議の場所や時間を指示するのも俺だし、彼女が社内の構造を覚えるまでは連れて行ってやらねばと思っていたら、社内を一緒に行動するのも当たり前になってきた。
「明日はどうするんだ」
「お休みします」
 休日出勤の有無を確認するようになって、互いの私生活に関する情報もやり取りするようになってきた。彼女は休日には趣味の手芸に勤しむようで、幾つか作品を見せてもらったが、携帯電話やスマートフォンのストラップや、バッグチャームなど、随分と丁寧に作りこんでいる様子である。
 ある日、彼女が疲れた顔つきで出勤してきたことがあった。夏らしい半袖のブラウスから覗く二の腕の滑らかさと、汗ではない芳香が俺の感覚を奪って離さない。
「おはようございます、三城さん」
 苗字で呼んでいるのに、名前で呼んでいるような錯覚になるので、俺はこの苗字も気にいっている。親密になったような気がするからだ。
「おはようございます」
「今日は具合が悪いのか?」
「具合が悪いというか、ちょっと疲れが溜まってしまって。両親が私の家に来て、あれこれ世話を焼いていくものだから」
 彼女が実家を離れて一人暮らしをしていることは、前から知っていた。
「部屋の掃除が行き届いていない、とか言われているんですか」
「それもありますけれど、いつ結婚するのか、と騒いでいるんです」

1 2 3 4 5 6