小説

『亀の角兵衛』NOBUOTTO(『浦島太郎』)

 若返りの煙がほとんど無くなっていたことは内緒にしていた。煙が少なかったせいか乙姫の小じわが少し減った程度の違いしか角兵衛にはわからなかった。竜宮での時間は地上に比べればゆっくり進むが、それでも人間は確実に年はとる。年を取り戻すために若返りの薬を百年間地上で熟成させる。祠で玉手箱からでてきた煙を見た時、角兵衛は今年が熟成の時期であることを思い出したのである。
「乙姫様。それにしてもですよ、若返りの煙をなぜ金銀財宝と」
「だって、本当の事を知ったら金銀財宝より人間達が欲しがるでしょ。お前に言えば、きっと浦島様に言ってしまうでしょうし、この煙で浦島様が若返ったらもう戻って来てくれませんからね」
 「にしても、この私まで騙すことはないのではと…」
 角兵衛に口答えはさせないと言わんばかりに乙姫は言う。
 「ところで、浦島様はどこ。この若返った私を早く浦島様にお見せしないといけませんわ」
 角兵衛は、浦島は戻らなかったことを乙姫に話した。
 乙姫は話しを聞くと、みるも哀れなほど落ち込み、床にしゃがみ込んでおいおい泣き出してしまった。
「なぜ、すぐに命が尽きるというのに地上が良いと浦島様は言うの。それほどまでに、地上が好きで、私が嫌いなの」
 乙姫の悲しみがだんだん怒りに変わってきたようである。
「わからない。わからない。なぜ私ではダメなの。私は、ここに何百年もいるのよ。人間は誰もいない、ここによ」
 目がまた眉の上までつり上がり、乙姫は手元にあった壺を壁に投げた。いつものヒステリーが始まったのである。
 ちょうどその時、乙姫殿の外から「おぎゃあ、おぎゃあ」と赤ん坊の泣き声がしてきた。
「でですね、乙姫様。浦島は帰ってこなかったのですが…ヒラメよ、その子を此処につれてこい」角兵衛が言うと女官のヒラメが赤ん坊を抱きかかえてやってきた。
「乙姫様。この子は、あの煙を吸って赤ん坊にもどってしまった浦島です。時間はかかりましょうが、この赤ん坊の浦島とこれからゆっくりと時間を過ごしていけば宜しいのではないでしょうか」
 実は、この赤ん坊は代官であった。角兵衛は、乙姫がこれ以上荒れるのを恐れて咄嗟に嘘をついてしまったのであった。

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