小説

『また会えますね』吉倉妙(『夢十夜』第一夜)

「あなたの気持ちが逃げ腰で、それが全ての妨げになっているのではありませんか?」

 幻聴なのか現実なのか区別のつかないやりとりが僕の耳の中で繰り広げられて、僕は途中で「これは夢の中でのお告げなのかな?」と思ったりもした。でも、じゃぁ、僕はどこから夢を見ているんだろう?昨日から?それより前?社長と会ったところから?それとももっとずっと前からなのかな?
――とにかく、これは夢なんだ。僕は長い夢を見ているんだ。
 そう思ったとたん、懐かしいというほどには、この女性と自分はそんなに深い知り合いではなかったような気もしてきた。
――けど、この人の大きな潤いのある眼の、長い睫に包まれた中が、ただ一面に真っ黒であったことは鮮明に覚えている。
――あの時は、そう、その真黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいたのだった。
 でも「あの時……」って、あの時も夢ではなかったのだろうか?

 僕は途方にくれた気持ちで、線香の緑が灰に変わってしまうまでお墓の前にしゃがみこんだ。
――どうしようか。今この場所だけが現実で、現実だと思っていた世界が夢だったような感じになってきたぞ。
 僕は、現実だと思っていた元の世界に戻れるのだろうか……。
「でも、そもそも、僕にとっての現実って何だろう」
すると、供えた百合の蕾だった方の青い茎が僕の方へ伸びて来て、丁度僕の胸のあたりまで来て、ふっくらとその白い花びらを開いた。
 僕は花びらにキスをして、百合から顔を離す拍子に真上の空を見上げたら、星が一つ瞬いてて「やっぱりこっちが夢だったんだな」と気が付いた。
 そして、ここを立ち去れば、僕はここでの出来事を、きれいさっぱり忘れてしまうのだとも察知した。
と同時に、ついさっき、元に戻れないのではないかと思った恐怖が安堵に変わり、目を背けていた現実に戻れることが嬉しくなった。

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