小説

『三万年目』清水その字(古典落語『百年目』)

「あの、マカさん。貴女は一体、どういう……」
「ホラホラ! あっちの奴も!」
 問いかける間もなく、別の展示物へ興味を移すマカ。慌てて後を追うハナグロ。しばらくの間、二人は古代の生き物の骨を見て回った。その度にマカは「こいつは不味かった」「こいつは手強かった」などと、絶滅動物たちとの思い出話をしてハナグロを混乱させる。
 やがて二人は『メガテリウム』と書かれた、巨大な獣の骨を目にした。外国の博物館から借り受けたものらしく、全身の骨格が復元されている。肋骨一本を取っても鈍器になりそうな太さで、手足には熊を凌駕する大きさの鉤爪を持っていた。口の中には草食獣の歯が見えたが、全長七メートルはあろうかという威容には恐怖を感じてしまう。
 説明書きには『南アメリカに生息したオオナマケモノノの一種』とある。失礼な名前をつけられたもんだ、と思ったとき、ハナグロは何か妙な気配を感じた。殺気、という奴だ。いつだったか寝ぼけて犬の餌に小便をかけたとき、その犬から発せられたのと同じ気配だった。
 そしてそれを放っているのがマカだと気づくのに、時間はかからなかった。また彼女の尻尾がはみ出していることにも気づく。こんなところで妖怪が尻尾を出すなど、下手をすれば人間が下着を見せるより面倒なことになる。
「マカ……さん……?」
 慌てて教えようとしたハナグロだが、彼女の顔を見て驚いた。メガテリウムの骨を見つめ、というよりは睨みつけ、歯をむき出しにして唸っている。しかもその歯が徐々に長く、太く、鋭く変形していった。長く伸びた二本の歯、というより牙は顎の下まで垂れ、その眼光は空気をビリビリと揺さぶるような凄みがあった。
 思わず後ずさりしたとき、ハナグロは近くにいた学生に気づいた。スケッチ帳を手にしたまま、見開いた眼をマカに向けて硬直している。これはまずい……ハナグロは咄嗟に行動を起こした。
「ごめんなすって!」
 出かける前に装着させられたマスクを外し、それを素早くマカの顔につける。長い牙でマスクの布が不自然に盛り上がっていたが、何とか隠せた。彼女の腕を掴んで引っ張り、空いた手で自分の鼻を隠しながら、ハナグロは駆け出した。出口へ向かって。

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