小説

『三万年目』清水その字(古典落語『百年目』)

「おおー、結構綺麗な博物館だネ」
 ハナグロの古巣を、マカは楽しそうに見渡した。庭には恐竜を象ったトピアリーが点在し、子供がはしゃぎ回っている。池を泳ぐ錦鯉も色鮮やかだ。博物館の建物はいくらか古びているが、煉瓦造りの中に日本の城郭風の意匠を取り入れた、威厳のあるデザインだった。
 ここを離れてそれほど経っていないのに、ハナグロはなんだか懐かしい気分になっていた。ふと嗅いだことのあるニオイを感じて振り向くと、よく残飯をくれた従業員がいた。今は小さな黒猫に餌をやっている。見覚えのない猫だが、最近になって住み着いたのだろう。
「ほら食べな、オジロ」
 彼が優しく呼びかけると、黒猫はニャモニャモと妙な鳴き声を発しながらクズ肉を食べ始めた。全身真っ黒な猫だが、よく見ると尻尾の先が白い。そういえば自分にハナグロと名付けたのもあの人だったな、と思い出す。ネーミングセンスが変わっていないのを見て、ハナグロは微笑ましい気分になった。
「ハナグロはここの庭で生まれたノ?」
「庭で生まれただなんて……もうちょっと人間っぽい聞き方をしてくださいよ」
 周囲を警戒しつつ小声で忠告する。マカは人間の基準ではかなりの美人であり、他の客から視線を集めていた。もっとも現代の人間は妖怪など信じないだろうし、正体を見破れる者もほとんどいないだろうが、万一ということがある。
「大丈夫、ここでは尻尾出さないからサ」
 悪戯っぽい笑顔。あの尻尾がハナグロの脳裏に蘇り、上昇した血圧を理性で下げた。
「えー、俺は何処で生まれたかよく覚えていやせんが、気づいたらここに住んでいまして」
「兄弟はいるノ?」
「兄貴が一匹、姉が二匹、弟が三匹いました。今生きてるのは俺だけで」
 野良猫の寿命とは短いものだ。冬の寒さに耐えられなかったり、病気や事故で死ぬ者も多い。ハナグロも住み心地のよい寝ぐらを見つけたからこそ、妖怪になるまで生きられたのだ。それも弱肉強食、自然の摂理と諦めはついているが、同じ母猫に育てられた兄弟の顔は今でも覚えている。以前恋仲だった三毛猫のことも。

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