小説

『キオ』大前粟生(『ピノキオ』)

 おじいさんははじめて檻の外に出た猿のようにきょろきょろと辺りを見まわした。知らないところにきていた。どれくらい歩いたのか自分でもわからない。そこは廃工場のスクラップ置き場だった。ゴミ集積場のように鉄材や屑になった金属が積まれていて、「これだけあれば金になる」とおじいさんはつぶやいたが、たぶんそれは金にはならない。これだけ残っているということが証拠だろうし、おじいさんにはもう鉄材を運ぶだけの力がない。おじいさんは地面に体を横たえた。隣にキオを寝かせて、ふたりで空を見た。バカみたいな青空で、おじいさんのこともキオのことも、男の子のこともその両親のことも、なにもかも見下して笑っているようだった。
「青いなー」おじいさんも笑って、キオを見た。
「おまえ、鼻が取れてるじゃないか。よし、ちょっと待ってろよ」
 立ち上がろうとしたが、体が動かなかった。なんとか這いつくばって、近くの屑山を手探った。屑山のなかに手を突っ込むと、屑が炎のようにおじいさんの手を包み、痛めつけた。おじいさんが手を引っこ抜いたとき、辛うじてバランスを保っていた屑山がきしんだ。おじいさんの手のなかに握られていたのは輪っか状の金属や細くて尖った金属棒など、小さくて、錆びたものばかりだった。
「よおし、ちょっと、待ってろよ」
 おじいさんはキオの鼻が取れたところの空洞に金属類をあてがって、手を細かく動かした。
 作業をしながらおじいさんはいった。
「キオ、あのふたりを、あの男の子のパパとママを、恨んじゃいけないよ。わしはもう、だめだけれど、あの人たちのせいじゃないんだ。だれが悪いわけでもない。はは。わしを殴って、おまえの鼻を取って、それであのふたりの気が少しでも楽になるなら、それでいいじゃないか。わしはもう、なんとも思っていないよ。だからおまえも……」
 おじいさんはうそをついた。おじいさんは本当は男の子の両親のことを恨んでいる。殴られて、子どもの鼻を取られてそれでいいなんて思っていない。なんとも思ってないことなんてない。復讐してやろうと思っている。でも、うそをついた。キオのためにうそをついた。
「よく、似合ってるよ」
 キオの新しい鼻は長かった。尖った金属の鼻の錆色は、おじいさんの肌よりも赤黒かった。風が強く吹いて、出来合いのキオの鼻が風車のようにくるくるとまわったが、取れはしなかった。

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