小説

『キオ』大前粟生(『ピノキオ』)

 それからしばらくの間、おじいさんとキオは平穏に暮らした。相変わらずお金も住むところもなかったし、汚いものを見る目で見られたりしたが、おじいさんは気にしなかった。本当にそこに子どもがいるかのようにキオに話しかけ、日に一度、あるいは数日に一度の食事もキオと分け合って食べた。ねむるときにはキオの背中を叩きながら子守唄を歌った。遊び相手がいないキオのためにいっしょにかくれんぼをしたり、クジラの帽子を使ってコオロギを捕まえたり、国語や算数を教えたり、人形の作り方や木材や金属の簡単な組み合わせ方やボロ屑を使った工作の仕方を教えたりした。交通整理の赤いコーンを被って、キオのクジラの帽子と同じだといって笑った。光の加減だろう、キオは笑っているように見えた。

 ある日、まだ人がいない早朝におじいさんとキオが公園で遊んでいるところを、公園の近くの事故現場に花を供えにきた男の子の両親が目撃した。父親は一瞬そこに子どもがいるのかと笑顔になったが、すぐにその顔は不安で強張った。母親はクジラの帽子を抱えながら、抜け殻のように虚ろな表情をしている。父親が体を震わせながらおじいさんのところにきていった。
「なんなんだよ。おい、あんた。なんのつもりだよ。それ、ゲンだよな」父親はつっかえていく声に負けないように怒りを絞った。「あんた、楽しいか。おれたちを笑ってるんだろ。なぁ、そうなんだろ」
 おじいさんはお寺の前で追いかけられたことを思い出したが、今度は
「ちがう」と父親の目をまっすぐに見ていった。「ちがう。あんたたちの子どもじゃない。キオだ。わしの子どもだ。あんたたちの子どもはもういないんだ」
 父親がおじいさんに殴りかかった。鈍い音がして、おじいさんは芯のない人形のように簡単に地面に倒れた。父親はおじいさんの手から離れたキオには目もくれず、おじいさんに馬乗りになって、殴りながらいった。「くそ。くそ。なんなんだよ。なんであんたが。どうしておれたちなんだ。どうして、おれたちの子どもが――」
 母親がぼさぼさの髪の毛を揺らしながら、キオに近づいて、膝をついて抱きしめた。
「ゲン、だめじゃない。こんなところで寝てちゃ」
「触るんじゃない」おじいさんは殴られながら、なんとか声を出した。

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