小説

『青い血、赤い鱗』東村佳人(『赤いろうそくと人魚』)

 香具師の船が沖にある頃、天気はますます荒れ、海は大しけになっていた。あやめは既に足掻くのを止め、ただ乱暴に揺れる船の底に、横になっていた。これから何処に連れて行かれ、何をされようとも、もうどうでもよかった。老夫婦を憎むことも、もうしなかった。
 ただ、最後に一度だけ、もう一度だけ、母に会いたかった。母がどんな顔をしているのか、あやめは知らない。一度でいい。一度、頭を撫でてもらいたかった。優しい言葉をかけてもらいたかった。一緒に食事をしたかった。一緒に海を泳いでみたかった。
 その叶わぬ願いを胸中に秘めて、彼女は唯一覚えている、母が歌ってくれた歌を口ずさんだ。
 船がぐらりと大きく揺れて、あやめの寝かされた船底にまで海水が入ってきても、剥がれた鱗の痕に、塩水は痛かった。

 嵐はそれから三日三晩続いた。
 台風の時期でもないのに、雨と風が吹き荒れ、港に繋がれた漁船も、一隻、また一隻とひっくり返り、海の底へと沈んでいった。
 荒波は海岸を超え、その沿路に並ぶ家々を次々と呑み込んで、小さな村は徐々に削られて、最後にはあの蝋燭屋も沈んでしまった。
 四日目の日の出と共に雨は止み、それまでの荒天が嘘のように晴れ渡り、黒々とした海面を照らした。村のものは誰一人、その光景を見ることはなかった。
 石段は、半分も水に浸かり、頂上に据えられた宮も、先の暴風で半ば倒壊し、あまり手入れをされていなかった屋根は完全に跡形を失くしていた。
 ただ一つ、あれだけの雨が降ったにも関わらず、その宮の前には、真っ赤な蝋燭が一本、灯されていた。嵐でも消えなかったその火は、柔らかな微風が一陣吹くと、思い出したかのように消えた。

 とお、ぬりてはかえるため
                                       

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