小説

『タンホイ座』佐藤奈央(『タンホイザー』)

ヴォルフラムはその人柄通り「愛は奇跡の泉」と、清らかな純愛の素晴らしさを歌い、人々から称賛される。ところがタンホイザーがこれを真っ向から否定。「愛は肉欲の泉」と、ふしだらで、背徳的な歌を歌い上げ、聴衆をザワつかせる。

タンホイザーが隠していた失踪の理由。それは「ヴェーヌスの山」だった。
つまり「ヴェーヌスベルク」。愛の女神・ヴェーヌスが住む、愛欲と快楽に満ちた、堕落の山。理性ある者なら決して近づかない山に、タンホイザーは人知れず分け入り、ヴェーヌスとの肉欲に溺れていたのである。事実を知った人々は恐怖に震え、怒りを爆発させる。男は剣を抜き、女は拳を握り締めてタンホイザーを断罪しようと詰め寄るのだった。
「行ったのだ! 行ったのだ! ヴェーヌスベルクへ行ったのだ!
 行ったのだ! 行ったのだ! タンホイザーは行ったのだ!」
タンホイザーがあわや殺されかけた時、エリザベトが間に割って入り、身を挺してかばう。
どうか、やめてください! 彼から救いの道を奪わないでください!
罪を償えば、誰でも救いの道を得られるはずです―。
エリザベトの純粋な思いによって命を救われ、心を動かされたタンホイザーは、魂の救済を求め、ローマへ巡礼の旅に出るのだった―。

ヒトシは、先輩たちの、大迫力の歌唱と演技に感動した。自分も実力があれば、タンホイザーを演じてみたい―。その直後、願いは、まさかの形で実現した。
                   ◆
「ちょっと集まってくれ」
古村の呼びかけで集合すると、座長がピンク色のカードを掲げて見せた。
「廊下で拾った。入店の日付は昨日だ」
その場は静まり返り、緊張が走った。「ソープランド ヴィーナス ポイントカード」。ヒトシは焦った。トイレに行ったときに落としてしまったらしい。そう、劇団の「鉄の掟」とはこのことだったのだ。
「風俗禁止。特に、稽古期間中は厳禁」
ヒトシはつい取り乱した。みんなの視線が自分に集まっているのが分かった。

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