小説

『タンホイ座』佐藤奈央(『タンホイザー』)

「ヒトシくん! 来るなら来るって言ってくれればよかったのに!」
現れたのは、笑顔のエリサだった。エリサは変わっていなかった。いやむしろ、何だかキレイになっていた。ヒトシはドギマギした。そして、嬉しかった。

立ち寄るつもりのなかった楽屋に招き入れられ、ヒトシは片隅で小さくなって座っている。ところが聞こえてくる会話の内容が、何だか以前と違っていた。若手の会話の中に「彼女」「フーゾク」といった言葉が、平然と散りばめられているのだ。不審に思っていると、エリサが、にっこり笑ってヒトシに言った。
「雰囲気変わったでしょ? みんな明るくなったと思わない?」
ヒトシは頭の中が混乱してきた。
「それでね、メールでもよかったんだけど、やっぱり直接言うべきだと思って。私ね、今、ノボル……古村さんと付き合ってるのよ。私はずっと、皆のことが同じくらい好きで、皆が私の恋人だと思ってたんだけど、私自身の、古村さんへの気持ちに気づいちゃったんだ」
エリサは頬を赤らめた。ヒトシは声も出なかった。

ラストシーンで登場した巡礼者役の若者が、「お疲れーッス」と言いながら、小道具の「新
緑の杖」を持って楽屋に入って来て、傍らの、エリザベトの棺に立てかけて去って行った。
ヒトシの隣に腰かけたエリサが、ヒトシの手を優しく握りしめ、耳元でささやいた。
「ねぇ。ヒトシ君も、きょうの飲み会、来てね?」
その時である。ヒトシの股間に、懐かしくも温かな血流が戻ってきた。
枯れた杖に、新緑が芽吹いたのである。
ヒトシは股間をおさえ、新緑の杖を抱き、棺の上に臥して泣いた。
ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ―。

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