小説

『桜の木の下にて』大野展(『桜の木の下には』)

 昨夜の奇妙な出来事について、私は彼には何も話さないことに決めた。俺がおまえに話した内容は、デカダンスの美の世界と精神を俺なりに表現した文学的試みだから、そんなことが起こるわけがないじゃないか。つくのだったらもう少しましな嘘をつきたまえ、などと言われて笑われるのがいやだったからではない。私の体験談を聞いて、さもありなんと大きくうなずいて、重い病を患っていることにかまわず私と同じことをしでかすのを恐れたからである。
 ともあれ私は、再び満開の桜の下の土の中にいた。今夜の私は、海を見下ろす崖に立っている見事な桜の木の下を掘った。土を掘る作業の合間に空を見上げると、どこか瑞々しい質感をたたえた満月が中天にかかっていた。桜の花びらが時折吹く風に舞い散り、月の光が溶け込んだ海に吸い込まれていったのが土の中にいる今でも目に焼き付いてはなれない。
 今宵私がこの場所を選んだのにはわけがある。学生時代に学んだ民俗学の中で知ったある民間伝承の実在を確かめたかったのである。
 やがて昨夜のように桜の根が、養分を吸い取るべく触手のごとく私の身体に這いより、からみつきだした。そして前回と同様に最初はぼんやりとした映像だったものがくっきりと見え始めた時、私は驚きの声をあげた。
 数限りない死者が、はるかかなたから行列をつくって行進している。それは前と変わらない。しかしそこは海の底だった。薄暗い海底を海水のうねりに揺られながら、彼らは幻のようにただ前へ進む。
 ニライカナイ。彼らはそこへ向かおうとしているのだろうか。ニライカナイは沖縄県や奄美地方に伝わる他界思想。死者の魂が帰る国でもある。沖縄や奄美で信じられているのならば、それ以外の地域でもニライカナイを目指す死者がいるにちがいないと考えた私は、だから海の見える場所に立っている桜の木の下に埋まった。そしてそれを今確かめることができた。
 死者たちは、暗い海底をゆっくりと東へ向かって行進する。なぜ東の方向と分かるかというと、ニライカナイは東の海の彼方にあると伝えられているからだ。そのはるか東の方向を見渡すと、頂上の平らな山らしき黒い影がかすかに見える。ギョーだろうか。彼らの目指しているのは、あの平頂海山なのかもしれない。そう思いを巡らしている時、ふいに眼前の映像が消えた。桜の根が身体から退いていくのが分かった。

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