小説

『桜の木の下にて』大野展(『桜の木の下には』)

 桜の木の下には屍体が埋まっている。
 彼は私にそう言った。その時私は、腋の下に汗をかくほどの抑えがたい強い欲求に駆られた。
 満開の桜の木の下に埋まってみたい。
 埋まったらどうなるかとか、埋まって何をするかとかそんなことはまったく頭にない。私は彼の話を聞いているうちに、自分が桜の木の下の土の中にいることを想像することが止められなくなってしまったのだ。
 ああ満開の桜の木の下に埋まってみたい。

 次の日の深夜。私は人気のない雑木林の中に一本だけ立っている大きな桜の木を見上げていた。南東に輝く青い月に照らされたその満開の桜は、彼の言葉通りあたり一面に神秘的な空気を醸し出していた。
 さっそく私は用意していたスコップで桜の木の下を掘り始めた。誰かに目撃されて怪しまれるかもしれないことなどまったく念頭になかった。作業に集中し続けたおかげで1時間ほどで私が入れるぐらいの穴を掘ることができた。体が熱い。全身汗でぐっしょりである。しかし私は休む間もなく穴に横たわり、土を自らの身にかぶせ始めた。穴の底にいるのにどうして土をかけられるかというと、穴を掘っていた時の土は青いビニールシートに集めておいた。そのビニールシートの、穴から最も遠い両角にロープをくくりつけ、ビニールシートのある方とは反対の穴の縁に丸い穴のあいた杭を2本打ち込みロープをその穴に通す。後は横たわりながらそのロープを平行に少しずつ手繰り寄せれば、くくりつけられたロープが引っ張られて土が穴に落ち込むという算段だ。私は掘り返した土が重くて、ロープを引っ張っても土を動かせないのでは、と危惧していたがそれほどではなかったので大いに安堵した。呼吸確保の方策ももちろん考えてある。長いホースを用意し、土をかぶせる時にはそれを咥えたのだ。
 掘り返した土を元に戻し終わり、ついに私は桜の木の下に埋まった。土の重みで身動きが取れず、少々苦しいが気分はそう悪くない。しばらくの間私は目的を達成した余韻に浸っていた。だがやがて体の熱が冷めるとともに、心も冷めてくるのを自覚した。なんだこんなものなのか。
 とにかく桜の木の下に埋まりたいと思っていた私だが、いざ埋まってしまうととてもつまらないことのように思えてきだした。もういい。そろそろ外に出るか。少しずつ土をかき分けて外へ出ようとした時、ふと手の甲に何か動くものを感じた。虫か?ムカデとか危険な虫だといやだな。刺されたりかまれたりしないように、もうしばらくじっとしていることに決めた。しかし落ち着いて意識を手に集中してみると、どうもこの感触は肢を動かしているようなものではないことに気づいた。足のない生き物・・・とするとミミズ?いや蛇か!?土を埋め戻す時に蛇も混じっていたのだろうか。

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