小説

『生まれかわった少年』小笠原幹夫(『勝五郎再生談』平田篤胤)

 これは明治の中ごろに、ほんとうにあった話です。
 明治十六年に埼玉県川越在かわごえざいの農家に生まれた松吉まつきちは、疱瘡ほうそうを病んで、六つのとき、明治二十二年二月十一日午後四時ごろ亡くなりました。ところが、明治二十七年七月二十五日に、埼玉県川越の時計商・安西善友あんざいよしともの家に卯三郎うさぶろうという子として生まれかわったというのです。
 卯三郎は七つのとき、兄の竹之助と姉のサクといっしょにはたけのあぜで遊んでいましたが、ふと兄に向かって、
「あんちゃんは、もとどこの誰の子だっだの?」
 という意味のことをたずねました。竹之助がそんなことは知らぬと答えると、こんどは姉に向かって、ねえさんはもと誰の子だったかとききました。
 姉もそんなことは知らぬと答えると、卯三郎は、
「あんちゃんも、ねえちゃんも、生まれる前のことは知らないのか。あたいはよく知っている」
 といいます。これを聞いて竹之助もサクも、おかしなことを言う子だと狐につままれたような顔つきをしています。
「あたいは、この家に生まれる前は、入間川町いるまがわちょう又造またぞうってのがおとっつぁんだった。あたいの名は松吉だった」
「おまえ、頭が少しおかしいんじゃないか」
 そんなことがくり返されて、いつしか両親や祖母の知るところとなり、両親らは不思議に思って、卯三郎を呼んで、なだめすかして問いただすと、とうとう一切をしゃべってしまいました。卯三郎の語ったのは次のような話です。
 自分はもと川越在入間川町の百姓・金子又造の子で、母の名はヒデといった。
「でも、あたいが小っちゃかったころ、お父つぁんは死んで、その後新しいお父つぁんが来た。名を巳之助みのすけといった」
 それから自分は病気になって六つのときに死んだ。死ぬときは何の苦しみもなかった。そのあと葬式があって、からだを棺桶の中に入れられるときに飛び出して外から自分を見ていたんだ……。

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