小説

『川からの物体M』大前粟生(『桃太郎』)

 おじいさんは洗濯物を拾うのも忘れて四つん這いで去っていく。桃太郎は途方に暮れている。でも、それでよかったのかもしれない。家に帰ったおじいさんは「わし、オムツ履くことにした」とおばあさんにいったのだから。
 桃太郎が桃のなかに宿ってからもう何年も経っているから、桃太郎の手足や脇や胸や股間にはうっそうとした毛が生えている。おばあさんとおじいさんだってもうずいぶん歳だ。でもまだ生きている。テレフォンショッピングで買った健康食品のおかげだ。流れている間、桃太郎が食事やトイレをどうしていたのかとか、首から上を覆う桃がどうして腐っていないのかとかどうして目が見えているのかとかは私に聞かれてもちょっとわからない。
 シーツは川に流されてしまったが、おじいさんがまだ洗っていなかった黄ばんだブリーフは岸に残されていたので、桃太郎はそれを履いた。
「これからどうしよう」と桃太郎はひとりごちたあと、「とりあえず〈桃太郎〉の物語を進めないといけないから、猿とか犬とか雉とかを探しにいけば?」「うん、そうしよう」という。ひとりで喋っているのだ。頭がおかしい。頭が桃なのだ。
 というわけで、桃太郎は猿とか犬とか雉とかを探しにペットショップにいく。
「こんちわぁ。猿とか犬とか雉とかほしいんですけど」
 自動ドアが開いて現れた桃太郎を見て店員や客はかたまる。
「え? あぁ、この頭? いくらひっぱってもとれないんですよ。ね?」
「うん。困っています」
 ひとりで話しているほぼ全裸の桃を見て店員も客も逃げ出していく。
「あれ、どうしたの? おーい」
 と、ペットショップの前をパトカーが通りかかる。ふたり組の警官がなかを覗くと桃太郎がトイプードルが入ったガラスケースを叩き割っているところである。猿とか雉とかはいなかったので桃太郎はレジを壊そうとしている。
「手を上げろ!」
 なんて軽率な警官なのだろう。警官は銃を構えたのだ。トイプードルを脇に抱えた桃太郎はそんなことお構いなしに進んでいく。

1 2 3 4 5 6