小説

『ホントの気持ち』山本康仁(『鶴の恩返し』)

「あの、これ……」
 香苗は朝の爽やかな日差しに照らされるスーツを見せる。黒い中に、ときおり織り交ぜた白い糸が滑らかな光沢を作り、いっそうそのスーツをエレガントに演出した。
「着てみてもいいかな」
「ええ、もちろん」
「それで昨日、身体の寸法を測ってたんだね」
 Tシャツの上にジャケットを羽織ると、裕樹はボタンを留める。ピタッと身体のラインに沿いながらも、まるで生地自体が伸縮するかのように、どんな風に動いても違和感がない。
「これは……」
 裕樹が姿見の前へ移動する。
「もう今までのスーツは着られないよ。これをひとりで全部?」
「どうやって作ったかは秘密だけど」
「最高の着心地だよ」
「じゃあ今晩もう一着、作ってみるね」
「できるの?」
「もちろん。でもぜぇ~ったい、作ってるところ見ちゃダメだから」
「悪いね」
 名残惜しそうに脱ぐと、裕樹がスーツをハンガーに戻す。朝ご飯の間中、ちらちらとスーツを見る裕樹を眺めながら、香苗は明日の朝、「見ないでって言ったのに」と別れを伝える自分を想像した。
 思わず涙が出て、台詞がうまく言えませんでした。CMに出ていた体験者の言葉が思い出される。いささかホームシック気味の香苗だったが、この一ヶ月を思い出す余裕ができると、つい胸がぎゅっとなった。
 あれは深夜に近い金曜のことだった。街灯が点々と照らす夜道に飛びだした香苗は、突然現れたトラックにひかれそうになった。身体を反らして避けたものの、崩れるように仰向けに倒れると、腰が抜けたのか恐怖からかそこからぴくりとも動けない。
 次の車が来たらどうしよう。焦れば焦るほど動かなくなる身体に、すっと腕を回してくれたのが裕樹だった。何も言葉の出ない香苗を歩道の端まで連れていく。

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