小説

『ホントの気持ち』山本康仁(『鶴の恩返し』)

「絶対」
 そう言って裕樹は、香苗の頭をぽんぽんと叩く。香苗の部屋の前で「おやすみ」を交わすと、裕樹はそのままさっと自分の部屋へ入っていった。
 眠れない夜だった。
 途中、裕樹が部屋から出てくる音がした。トイレへ行き、それだけかと思ったら玄関のドアが閉まる音が響いた。香苗はしばらく聞き耳を立てていたが、裕樹が戻ってくる音は一向にしない。
 明け方少しうとうとし、はっと目が覚めるとキッチンから音が聞こえてきた。香苗は急いで服を着がえる。
「お早う。よく眠れた?」
「うん……」
 サラダにトースト、ハムに目玉焼き。裕樹がコーヒーをカップに注ぎ、「はい」と香苗に渡す。
「あの、これ……」
 香苗は代わりに編み上げた手袋を差し出す。
「また手袋って思うかもしれないけど、色違いがあってもいいかなって思って」
「いつも、ありがとう。会社でも評判いいんだ」
 さっそく裕樹が両手にはめる。
「ぴったり」
 裕樹が笑い、香苗もつられて微笑んだ。

「あんまり言うのも、しつこいかなと思ったので……」
「そうですよね。普通の人ならイラッとするでしょうね」
 一週間。「ぜぇ~ったい」を続けたが、裕樹は一度も覗かなかった。毎晩「見ないよ」と誓うだけで、苛立った様子さえ見せない。わざと音を立てたり、少し大き目なひとりごとをつぶやいてみたりしたが、効果は無かった。
 ときどき裕樹が出てくる音がしたが、それはトイレか、玄関に向かうときで、香苗の部屋のドアが開けられることは決してなかった。
「もういっそ正直に、少しは見てくださいって言えたらいいんですけど。でもそれじゃあ見られたときに、『見ないでって言ったのに』は変ですもんねぇ」
 日差しが弱くなる夕方のベンチで、香苗は自分で編んだマフラーに顔をうずめる。

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