小説

『桃太郎異本集成』森本航(『桃太郎』)

「おっと、そこまでですよ、お爺さん。いいじゃないですか。まさか、男が力仕事で女が洗濯、というのが性差別的だから逆にしよう、なんて馬鹿げたことは言わないでしょうね。別の所では、物語的立場が逆の時もある。私は留守番で、貴方が竹を狩りに。それで良しとしましょうよ」
 お爺さんは唸るように溜息を一つ。お婆さんの言うそれは、果たして自分なのかという問いを飲み込んで、踵を返して、山へ柴刈りに。お婆さんも、それを見届けてから、川へ洗濯に。空は青く、照りつける太陽は優しく暖かい。風は涼しかった。

「なあ婆さんや、一つ思いついたんじゃが」
 帰ってくるなり、お爺さんは玄関からお婆さんに呼びかけた。薪を置いて、靴を脱ぎ、居間に向け歩を進めながら言葉を続ける。
「二人で花見に行く、というのはどうだろう、そこで二人で」
 襖を開けたところで、お爺さんの言葉は止まった。机の上に大きな桃が載っていたのである。その大きさたるや、座布団の上に座る子供のよう。傍らではお婆さんが、倉庫に長い間仕舞っていた大きな包丁を研いでいる。
「お爺さん見てください。川で洗濯をしていると、上流から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきたので、思わず拾って持って帰ってしまいました」
「二人で見つけるのはどうか、と言おうとしたんじゃが」
「花見に桃が落ちていますかね。あと、ほかの人が拾ってしまいそうですが」
「まあ、そうか。しかし、こんな大きな桃をよく持って帰れたな」
「そのあたりはまあ、いいじゃないですか」
 お婆さんは包丁を光にかざして、具合を確かめている。「よし」と小さく呟いて、お爺さんの方に向き直った。
「さて、切り分けて食べましょう。美味しいかはわかりませんが、痛んでは見えませんし、だいぶ食べごろかと」
「うむ。仕事で疲れた時に甘い物とは僥倖じゃ」そう言う頃には、お爺さんも桃の近くに座っていた。自分の両腕で囲めないほどの大きさだな、と目算する。
「では、切りますよ」
 お婆さんは言って、大袈裟に一度大きく包丁を振りかぶる動作をしてから、慎重に、桃の先に刃を入れた。すると、包丁の刃全体が桃に隠れたあたりで、突然桃が勢いよく、綺麗に二つに割れた。二人は驚いて飛びのき、しかし恐る恐る桃を見る。そしてその時、桃の中、本来種のある部分が空洞になっており、そこに一人の小さな赤ん坊がいることに二人は気付いた。気付いたのとほとんど同時に、その赤ん坊は大きな泣き声を上げた。

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