小説

『レーヴレアリテ』柿沼雅美(太宰治『フォスフォレッスセンス』)

 でもちょっと考えてみると、昨日僕の隣でチキンナゲットを食べていた女の子2人はほんとに現実にいるのだろうか。自分とは違う女の子を目の前にして、同じ話題で盛り上がり、泊まりに行くね、と言ったサチエは、目を閉じて見て来たような夢に浸っていたんじゃないのか。こんな女の子になりたい、こんな女の子だったらいい、恋の話をして仕事の不安を話し合う都会の女の子の生活を何度も夢に見てきて、無理のある夢心地だったんじゃなかったんだろうか。だって、サチエは本来ああいうタイプではなかったのは明らかだった。
 自分とは違うはずの女の子と同じ時間を過ごし、彼氏の話をし、憧れていたようなもしくはうんざりするような夢を見ていたんだ。でも、それはアミにとっては現実だ。かわいいこと、彼氏がいること、どんな子にでも優しく打ち解けられる自分、それが現実だ。でも、その現実だって過去のアミが自分の憧れや目を閉じて見て来た夢や思い描いた未来の夢のために努力して創りあげたものかもしれなかった。
 あの瞬間、チキンナゲットとカフェラテを挟んで、夢と現実が混ざり合っていた。
 僕は眠るほうの夢を見る。でもその夢は僕にとって現実でもあって、つまり僕はどちらの世界も生きている。同様に、誰かも、また誰かも、他の人には全然分からぬところで生きているに違いないのだ。他の人の現実なんて知る由もない、それが友達や家族であっても。
 僕は誰も知らない夢の中で、美しい世界を見ることもできるし、大切な人と時間を共に過ごすことができる。
 僕は毎日目を覚ましても、絵理香のぬくもりを覚えていることができるし、美味しいものを食べることができるし、顔も知らない人とコミュニケーションをとることもできるし、夜眠りにつく頃まで楽しい期待を持っていることができる。
この部屋の中で、目を閉じれば夢も現実も同じだ。そもそもこの世の中の現実と夢なんて錯綜しているんだ。
 それがいいじゃないか。見たいと思った夢がそのうち現実と入れ替わるかもしれないし、眠りながら見た夢は現実のどこかで経験していたことかもしれないし。僕はどんな世界でもどっちの世界でも生きているんだからいいじゃないか、と思った。
 アニメの次回予告を見て、そのまま窓のそとをちらっと見ると、いつものおじさんがガードレールに腰をかけていた。毎日午後に現れるおじさんで、身長は180㎝は超えている。帽子をかぶって、膝まである長さのロングコートを着ている。今は季節にあっているが、おじさんは夏でも春でも一年中同じロングコートを着ている。そして昼間はずっとあのガードレールに座っている。顔をうつむかせて猫背でコートのポケットに手を入れながら、横断歩道のない道路を渡る。車が途切れると歩道から歩道へ同じ場所を何度も行ったり来たりしている。部屋から見下ろしていると、おじさんを玉にして機械同士で延々と卓球をしているように見える。

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