小説

『評論といふもの』遠藤大輔(芥川龍之介『沼地』)

 とんでもない芝居を観た。

 「沼地」という作品だ。見終わってからまだ5分も経っていないせいもあるが、とにかくうまく説明できない。作者も演出家も役者も誰一人有名なものはいない。数日前、私に取材をしてもらいたいと劇団からチケットが送られてきた。普段は売り込みには対応しないのだが、この日だけは偶然スケジュールが空いていて、久しぶりに名前の知らない小劇場芝居を観るのもいいかなと気まぐれで来た。そこで、とんでもないものに出会ってしまった。

 少し落ち着いてきたので、作品を振り返ってみる。まず、舞台は円形状で、客がそれを取り囲んだ状態になる。これもひとつのポイントで、やがて観客の方が観られているという錯覚に陥ってくるのだ。出演者は6人。男女半々だ。全員、法衣にもボロ布にも見えるような衣装をまとっている。この6人が代わる代わる聖者と乞食を演じ分けており、次第にその境界線がなくなっていく。そして舞台の中心に位置する沼から宝石、聖人の遺体、希望、絶望などが次々と浮かび上がってきて物語は展開していくのだ。

 今は出来事をなぞるだけで、うまく解釈をつけられない。年に数回、観終わったあとに立ち上がれなくなる芝居がある。まさしくこれだ。作者や演者たちが命を削ってまで絞りだしたようなエネルギーを感じるのだ。
こういう芝居を観たあとは誰かと話したくなる。一方的にSNSで発信するのもいいが、やはり観終わった直後に興奮がさめやらぬまま、誰かと熱い芝居談義を交わしたい。その相手は誰でもいいわけではない。できれば同じ感覚に陥った人と語りたい。
 そう思っていた時、ロビーに残っていたある男性が私の目に留まった。年は30歳前後だろうか、目が虚ろでさきほどの自分と同じように放心状態に陥っている。彼ならきっと熱い話をしてくれるはずだ。私は彼に自分の名刺を差し出した。

「大変感動されているようですが、感想を聞かせてもらえますでしょうか」
 その男は名刺を受け取る前に声を発した。
「演劇評論家の佐々井さんですよね? お会いできて光栄です」

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