小説

『おばあちゃんと少年』升田尚宏(『ごんぎつね』)

 少年がニヤリとした瞬間、台所から玄関に向かう戸の前で、おばあちゃんが立っているではありませんか。少年は右手でお金を握りしめ、左手で野菜を抱えたまま茫然と立ち尽くしました。しばらくお互いにじっと見合っていました。おばあちゃんは沈黙のすき間を埋めるようにゆっくりと話し始めました。 
「どうしたんじゃ?山の中で迷われなさったのか?」
「あ・・・はい・・・。」
 少年は、一瞬、おばあちゃんを突き飛ばして逃げようと考えました。しかし、直ぐにおばあちゃんの細い目が少年を捉え、身動きできなくなりました。
「わしはのう…後はこの山の家で人生の終わりを待つばかりじゃ。家族も友達もおらん。毎日畑に行って野菜を作るのが唯一の楽しみじゃ。野菜は毎日採れるでのお、台所に置いとるから、いつでも持っていきんしゃいよ。」
 少年は、右手で握りしめていたお金をすぐにポケットに隠しました。おばあちゃんは、それを見てはいたものの、おかまいなく話を続けました。
「最近は、コソ泥が多くてのお。こんなオンボロの家に入って盗む物など、大したもんもないじゃろうに…。」
おばあちゃんは窓の外の夕刻の遠い山を見ながらそう言うと、少年は、右手でポケットを服の上から強く押さえました。
「あんた、また明日にでもいらっしゃい。明日は、大きいキュウリが獲れる…。」
 少年は、ずっと釘づけにされていた眼をようやくそらし、視線を玄関の方に向けて急に走り出し、おばあちゃんを突き飛ばして一目散に外にかけていきました。おばあちゃんは膝に付いた土を払いながら柱にしがみつき、ようやく立ち上がりました。そして、タンスの引き出しには、最初に盗まれた財布のお金の三倍のお金を置いておきました。少年は走りながら叫びました。
「なぜコソ泥!盗むな!と婆さんは俺に言わないのだ!いや、やはりこの婆さんはボケて何も解っていないのだ!そうに違いない。」
 次の日の昼過ぎ、少年は草むらからおばあちゃんが家を出ていくのを確認して家に忍び込みました。またタンスの引き出しをそっと覗くと、昨日よりも沢山のお金が置いてあるのに気づきました。そのお金に手を伸ばそうとしようとした瞬間、何を思ったか、引き出しをパタン!と締めてしまいました。振り向くと玄関にはおばあちゃんが立っていました。ニッコリと笑い、細い眼を少年に向けていました。少年は何も言えず、顔はこわばり、手が震え身動きできなくなっていました。おばあちゃんは静かに言いました。
「さあ、キュウリを採りに行こうかのお。」

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