小説

『スキル』わろし(『史記 孟嘗君列伝』)

「左様。実行あるのみ」
 馮驩は姿勢を正して手を膝におき、気が満ちるのを待った。やがてかっと目を開き、天空に向かって胸一杯に溜めた息を吐き、咆哮した。

 クックドゥードゥルドゥーッ!

 本物の鶏までつられて鳴きはじめる迫真の名演だったという。
「?」
 門番が怪訝な顔を見合わせたのも無理もない。漆黒の夜空には星がまたたいていた。どう考えても夜である。
「どうすんべ」
 だが一言一句違えると死罪になるのが秦の法だった。考えても始まらない。一言一句違えず行動するより他はなかった。
 これぞ鶏鳴狗盗の故事。かくして孟嘗君は虎口を脱したのである。

 後日談になる。
 命からがら逃げ帰った孟嘗君は、やがて母国・斉の宰相に迎えられた。
 その屋敷には以前にもまして食客が賑わい、しかもその数は日々増えていった。食客も相手を見定めて身を寄せるのだ。
 もう影武者をたてる意味もないので、孟嘗君は自ら上座に座り彼らの相手をした。あどけなかった彼女も宰相の地位を得て、ピンと背筋を伸ばした居住まいに、多少の風格を漂わせていた。
「よく戻ってきてくださいました」
 下座には秦の地で逃げ散った、かつての食客たちが畏まっていた。それぞれ抱えてきたであろう、練りに練った釈明を聞きもせず、孟嘗君は開口一番、許すばかりか礼まで言ってのけたである。
 食客たちは戸惑った。強気にでようとしていた者、平身低頭でしのぐ戦術だった者、忘れたフリを貫こうとした者、踊って誤魔化すつもりのお調子者。彼らは一様にモゴモゴと呟いた。いや、その、こちらこそ。そんな風に頭を下げられてしまうと、なあ。
「昔話はよしましょう。あれからも秦は日々勢力を増しています。我が斉も国富につとめ、これに備えねばなりません。それにはどうしても先生方が必要です。どうか皆様のご見識でお助けくださいませ」

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