小説

『スキル』わろし(『史記 孟嘗君列伝』)

ツギクルバナー

 その男は、よろめき倒れこむようにしてとうの町にあらわれた。
 髪はボサボサ、髭はモジャモジャ、煤けたような目鼻のまわりや、か細く突き出た手足の色は、素焼きの土器みたいに赤茶けて、伸びきった爪であちこち掻くたび垢は落ちるわ蚤は跳ねるわ、おまけに吠えたてていた犬までが、
「キャウン」
 と逃げてしまうほど、ひどい臭気を漂わせている。
 おりしも滕は近隣の人々でごった返していた。
 現在の山東省南部にあたる滕の周囲には、なだらかな平原がひろがって、小麦などの穀物をよく産する。人々は秋になると、それらを荷車に積んで納めにくるのだ。
 その人々も、
「む」
 と唸ったきり道を譲った。
 城門から宮城にのびる滕のメイン・ストリートには、人々と荷車がひしめき渋滞になっていたが、男の周囲だけは大河に浮かぶ中洲のように、いったん別れてまた出合う人の流れができていた。
 しかし男は気にする様子もなく、よたよた宮城までやってくると、あくびをかみ殺している門番をみつけて、白い歯をみせ腰を落とした。
「お控えなすって」
 門番はいやな顔をした。
(また面倒なやつがきやがった)
 しかし彼の風変りな雇い主からは、いかなる相手であれ、ひと通りの応対をするように仰せつかっている。
 やむなく、
「そちらさんこそ、お控えなすって」
「それでは仁義が通りません。どうぞ、そちらさんから、お控えなすって」
「それでは控えさせていただきます」
「早速、お控えいただきまして、ありがとうござんす。さし向かいましたるおあにさんには、初のお目見えと存じます。手前、生国と発しまするは宋の国。宋といってもいささか広うござんす。滔々流れる淮河のほとり、草深き野を月照らす、泗水は沛沢でございます。姓をひょう、名をかん。故あって親兄弟もたぬ昨今の駆け出し者、西に行きましても東に行きましても、土地土地の皆様に迷惑かけがちなる若造です。以後、万端ひきたって、よろしくお頼み申します」

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