小説

『母親』中島もらる(『交尾』梶井基次郎)

 祐作はあまりの興奮に身を焦がし、灼ける体と躍動する鼓動を感じる。そこには人智を遥かに超えた美しさが存在していた。アカカナキリの特徴たる羽音は、この場面においてまさに出産する母親の金切り声のようでもあり、誕生した新生児の産声のようでもあった。祐作は一人の男として、ちっぽけな一個体ながら世界に住む住人として、世界と一体化し、しばらくこの光景に浸っていた。
 夕闇はさらに深まり、完全な闇となった。アカカナキリの乱交と出産は終わったらしく、誰の叫ぶ声も聞こえない。祐作は結局卵を植え付けられることなく岩の上でジッと横になっていた。
 祐作は岩から降りた。そして地面に転がる男に近づいた。
 しかしあまり近づきすぎないようにした。男の中にはまだアカカナキリが居たからだ。アカカナキリは一度に全ての卵を出産せず、睾丸内でじっと身を潜め、次の出産機会を待つ。
 持ってきてた懐中電灯で男の陰嚢を見ると、パックリと開いていた穴は既に虫の分泌した化学物質によりきれいに塞がっていた。頭の良い虫なので、医者などが男の陰嚢を開き、治療しようとすると、アカカナキリは飛び上がって医者の股間も噛み切ってしまう。そして二度目の出産を医者の睾丸でする。この習性を我々は初め知らなかったので、多数の犠牲者が出たという。
 襲われた男に祐作が声をかけると、男はまだ生きていた。
「どんな気分だったんだ?」
 不謹慎と知りつつ、好奇心が勝利して祐作は男に尋ねた。
 襲われた坊主頭の男は穏やかな、祐作に今まで生きてきた中でこんな穏やかな声はないと思わせるほど穏やかな声で呟いた。
「それが不思議とねえ、気持ちが良かったよ。何というか、耳の奥の一番気持ちいいところを母親に耳かきでかき回されている気分だった」
 祐作は横たわる男の陰嚢を見、俺と目の合ったあのアカカナキリはこの男の中に居るんだろうか、それともどこかで冷たくなっているのだろうかと考えた。ソイツの方を選んだのか?ふん。まあいいさ。でもあんまり思わせぶりな態度はとって欲しくないもんだ。祐作は何となく嫉妬した。

「まあしょうがないさ。子が残せないのは悲しいけどな。でも今までと人生が変わってしまった感じだよ。この子たちを産んでやろうかとも思うんだよなあ」

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