小説

『お局ミチコと僧』ノリ・ケンゾウ(宮沢賢治『オツベルと象』)

 その日一日、荒れに荒れたミチコは傍若無人の振る舞い、職務中に煙草を吸うは薬物にも手を出すはで反社会的、さらには突如狂乱した様子で絶叫し若い女性社員のデスクの上の物をすべて床にばらまき自身は服を脱ぎ上裸に、そして部長のデスクに駆け寄り「このハゲ」と声をかけ高らかに笑い部長の被っているカツラを奪取、そのまま右手にカツラ、左手にはブラジャーの異形な姿でフロアを駆け抜け退社、ということはさすがにしなかったが、新人の入れたお茶の温度に文句をつけたり、自分より後輩社員が先に昼ご飯を食べただけで本気で怒ったりと、そこそこにやりたい放題だった。朝にお局のコラムを読んだにも関わらず、というより読んだからこそ開き直ったのか以前にもましてお局らしくなっていくミチコ。そっちがその気なら、こっちだって黙ってねえっつの。ミチコはコラムに書かれていた匿名の若い女性社員たちの意見がすべてそのまま自分の後輩社員たちの総意であると勘違いし、一日中臨戦態勢を解かなかった。不幸である。
 タイムカードを押して退勤を済ましたミチコは、ようやく肩の力を抜き、若い女性社員との闘いの緊張から自身を解放した。と同時に襲ってくる虚無感。私は何をやっているんだろう。自ら進んで嫌なお局を演じて(?)、若い社員の怯えた姿を見て自分の精神を落ち着かせて。ねえ私、こんなはずじゃなかった。私の人生、こんなはずじゃなかった。始め入社したときに、二つ上の先輩がとても優しくて綺麗で、私もこの人みたいになりたいと思ってスタートしたキラキラした社会人生活。その二つ上の先輩はチハルさんといって、仕事もできるし後輩の面倒もよく見てくれて人として完璧で、その人の何もかもが憧れだった。チハルさんは私が入社してからたったの一年で大学時代から付き合っていた年上の彼氏と結婚し寿退社をした。結婚式で見たチハルさんの笑顔が本当に幸せそうで綺麗で涙が出て、そのときに私は心の底から結婚がしたいと思った。や、違くて別にそれが結婚とかじゃなくてもいい、笑顔でいたいと思った。チハルさんのように。だけど今の私は、あのときのチハルさんよりも一回りも歳が上で性格が悪くて嫌なお局上司。ミチコは悲しみに暮れながら、金曜日の夜に色めき立つ銀座の街を歩いていた。すると、
「お嬢さん」
と、後ろからミチコを呼び止める声がする。ミチコが振り返ると、そこには黒い着物にその上から黄色い袈裟をかけ、頭に笠を被った僧侶が立っていた。ミチコは怪訝な声色で、
「なんですか」
 僧侶はゆっくりと頭を下げ一礼した後、顔を上げ、
「すみません、突然に声をかけてしまい。あなたのような綺麗な方が、悲しい顔をしておられるのが耐えられなくて」
「ふふっ。なに?近ごろは、住職さんでもナンパをするのかしら?」
 ミチコは馬鹿にした口調で言い、
「まあどうでもいいけど、ほっといてくれます?」

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