小説

『お局ミチコと僧』ノリ・ケンゾウ(宮沢賢治『オツベルと象』)

「ご、ごめんなさい…」
「もういいわ。謝らなくていいから。代わりに今から私の誕生日のプレゼントを買いに銀座へ行きましょう。うん、それでいいから」
「はい…」
 がっくりと肩を落とす僧侶。買い物が楽しみで足取りの軽いミチコの後ろをとぼとぼと歩いて店を出た。

 銀座のど真ん中、フェラーリから降りた二人。
「さあ、どこに行こうかしら」とミチコ。
 しかし僧侶からの返答はない。が、それに気づかないミチコ、「バックもいいし、財布でもいいし、ネックレスでも指輪でもいいわね。ああ、指輪。指輪がいいじゃない。婚約指輪も兼ねて」
 次々とミチコの口から溢れ出る物欲に、僧侶は次第に生気を失っていき顔面蒼白になったかと思うと、突如両手を合わせ、拝み始める。が、それにも気づかないミチコ。立ち並ぶ有名ブランド店のショーケースの灯りに目を奪われていた。拝んだ手を上下に擦りながらブツブツ何かを呟き始める僧侶。ようやく僧侶の方を振り返ったミチコが「え、なに?どうしたの?」と言うと、僧侶は一度だけ「苦しいです…」と言った後、途端に大声で何かお経のようなものを唱え始めた。
「ぐららあがあーぐららあがあーぐららあがー」
 突如豹変した僧侶に驚くミチコ。え、なになになに。なんなのこれ。
「ぐららあがあーぐららあがあーぐららあがあーぐららあがーぐららあがあーぐららあがあーぐららあがー」
 僧侶の奇妙なお経はどんどん音量を上げていき、道行く人たちもその異常な光景に足を止め騒ぎ始める。何が起こっているのかまったく理解ができないミチコ。
「ちょ、ちょっと!え、なに?これ!ねえ住職さん!ねえ!」
 しかし僧侶はミチコを無視し、目を瞑って手を合わせ拝みながら、
「ぐららあがあーぐららあがあーぐららあがー、おんぼうじしったぼだはだやみ、おんさんまやさとばん、ぐららあがあーぐららあがあーぐららあがー」
 と、辺りが震動する程に大音量でお経を続ける。
「なに、なに!これ!お経?ねえこれお経なの?ちょっ、やめ、やめてよ。やめてってば!」それでも僧侶の読経は続く、「ぐららあがあーぐららあがあー」耳が破裂しそうなくらいに轟く僧侶の大絶唱に、頭を抱えて後ずさりするミチコ、「頭が、頭が…」右足のつんと尖ったピンヒールの踵が、アスファルトの小さな窪みにちょうど引っ掛かってしまい、勢いよく後ろに倒れ込むミチコ。後頭部を思い切り歩道に打ち付けると、流れ出す大量の血。ミチコは打ち所が悪かったのか救急車で緊急搬送されたもののそのまま帰らぬ人に。享年三十六歳。今日はミチコの誕生日であった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10