小説

『彷徨えるプリンス』上田未来(『白雪姫』『赤ずきん』『ヘンゼルとグレーテル』)

 けれど、これが人生なのかもしれない、と思った。誰しもほかの人の人生を完全に理解することなどできるはずがないではないか。その人生を生きている者しかわからないことがあるのだ。
 その家を過ぎると、遠くに丘が見えた。今度はその丘へ行ってみようと思った。
 丘へ駆けあがり、そこから曲がりくねってくだっている道を王子は歩いた。しばらく歩き続けると、前からひとりの女の子が歩いてきた。五歳か六歳くらいの子だ。その女の子は赤いずきんを被っている。手には籐のバスケット。
 赤いずきんの女の子はスキップしながら近づいてきた。すぐ近くまで来たとき、王子はその子に呼びかけた。
「やあ、お嬢ちゃん、こんにちは」
 女の子はピタッとその場に立ち止まると王子を見あげた。もの珍しそうに王子をじっと見つめる。王子の服装が気になるらしい。口をぽかんと開けたまま数秒見つめたあと、女の子は言った。
「お母さんがね、知らない人と話しちゃダメだって」
 王子は微笑んで少女を見た。可愛らしい女の子だ。少女のさげているバスケットには、いま摘んできたものと思われる花とパンとワインが入っている。
「そうか、偉いね。で、どこへ行くんだい?」
「知らない人と話しちゃいけないって言ったでしょ」女の子が少し怒ったように言った。
「ごめん。そうだったね。久しぶりに人と話をしたから嬉しくなって、つい」
 女の子が不思議そうな顔をして王子を見た。
「久しぶりに人と話したの?」
「そうだよ。僕は遠いところから来たんだ」
「遠いところ?」少女は片方の耳が肩につくほど首を捻った。
「ここから、ずっとずっと遠いところからだよ。僕は別の物語からやってきたんだ」
「別の物語?」
「君にはまだ難しいかな。世界にはね、いろいろな物語があるんだよ。僕たちはその気になればどこへでも行けるんだ」
「ふーん」
 女の子は眼をぐるりと回してから訊いた。
「お菓子の国もある?」
「お菓子の国? さあ、どうかな。あるかもしれないし、ないかもしれない。僕にも知らない物語はいっぱいあるんだ」そこで王子は思い出した。「あ、そうだ。お菓子の家ならあるよ」

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