小説

『桃産』大前粟生(『桃太郎』)

「ほら、ここのところ」先生はエコーの桃をペンで指していった。
「あ、ほんとだ!」と夫がいった。
「ほんとですねぇ」と助産師さんが半笑いでいった。
「どこですか?」と私がいった。
「ほら、ここ。ここのところ」と助産師さんがいった。
「そうだ。検査、します?」と先生がいった。「障害があるかどうか」
「えっと……」私はまだ、答えを用意していなかった。
「やめておきます」と夫がいった。「どう産まれてきても、僕たちの桃ですから」断定だった。だれかが決めつけてくれて、ほっとした。

 桃太郎は猿と犬と雉を連れて、鬼が島に向かいました。鬼退治をするためではありません。退治なんて言葉はもうとっくに滅びてしまいました。ナンセンスです。鬼を殺すなんていうと、たちまち石を投げられてしまいます。桃太郎たちが鬼が島に向かったのは、鬼たちとパーティをするためです。ダンスパーティでしょうか。鍋パでしょうか。たこパでしょうか。とにかく、パーティです。あとから、桃太郎のおばあさんもおじいさんもやってきて、鬼たちと楽しい時間を過ごしましたとさ。おしまい。
「胎教には〈桃太郎〉の読み聞かせがいい」とサキさんもカオリさんもエリカさんもエアロビクスの先生も産婦人科の先生もいっていた。私たちが知っているのとはちがう〈桃太郎〉。でも、彼女たちにいわせれば「本当の桃太郎」。だれも苦しまない「最高の桃太郎」。
 私に〈桃太郎〉を読み聞かせると、夫はきびだんごを作りはじめた。診察にいってから、夫はとてもよくしてくれている。たばこもやめたし、私のことを気づかってお酒を飲むのもやめた。「有給、ぜんぶ使っちゃうよ、おれ」なんて意気込んでいる。
「どう、おいしい?」夫は私の口にあーんとしてくれた。通販で取り寄せた黍から作ったきびだんご。
「うん。おいしい。桃もよろこんでる気がする」とてもべちょべちょしている。
「冷たくない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう。あ、電話だ」
 カオリさんから電話がかかってきた。

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