小説

『白雪くん』大前粟生(『白雪姫』)

 そうやって時間が流れた。土嚢や鉄材を運ぶ私たちはいつだって体のどこかがきしんでいるし、耳には現場監督の「これだから女は」なんて怒声やセクハラじじいの「三万円でどう?」なんて言葉が染みついてしまっているけれど家に帰ると白雪くんの手料理が待っているし、白雪くんがやってきてからきれいな家はなんだかいいにおいがする。ガタイのいい男の人ばかり見慣れていた私たちはほっそりとして背の低い、なにより美しい白雪くんを見る度に心が軽くなる気がして、猫を見るように白雪くんの一挙手一投足を見守りたい。白雪くんがいない生活はもう考えられなくなっていた。授業は相変わらずねむたいけど、学校にありがちないじめもないし、女子トイレで囲まれてちょっとあんた最近白雪くんと仲いいよね? みたいなことをトイレでギャルの黒田由紀ちゃんにいわれることもなく、実はギャルの黒田由紀ちゃんが一番まじめだったり筋肉フェチだったことがわかったりして学校帰りに私たちといっしょにファミレスでだべったりする仲になるくらいの時間が過ぎて、海外の美容クリームによる皮膚の炎症がなおった白雪くんのお父さんは「この櫛、祐希に似合うと思って」とかいってやってきたり「お母さんがね、もうあの子も自分で考えられる歳なんだからほっときなさいよっていうんだ」なんて愚痴を私たちにこぼしたりエステや脱毛の最新情報を教えてくれたりして、なんていうかとても平和な日常で、いい方向に変わったこと以外で変わっていたことといえば緑ちゃんの腕のタトゥーが鬼退治する桃太郎から熊と相撲をとる金太郎に変わっていたことくらい。

 そしてそんなある日、白雪くんの顔に整形した白雪くんのお父さんに出会って家に帰ってみると、白雪くんがリンゴを喉に詰まらせて死んでいるみたいに倒れていたのだった。
「どうしようか」「どうする?」「やばくない?」私たちは相談し合った。そして、だれかがこういった。「こういときはお姫さまが現れてキスをするもんじゃない?」まるで童話みたい。すごくロマンチックで、白雪くんと白雪くんのお父さんに感化されていた私たちはそのアイデアにたちまちに痺れてしまって、お姫さまがやってくるのをじっと待った。じーっと。でもお姫さまはやってこない。こうしている間にも、白雪くんは瀕死でひこひこひこひこ呼吸をしているというのに。
「あー、もう、じゃあ」とまただれかがいった。「私たちのなかのだれかがお姫さまってことじゃないの?」
 私たちはそれはとてもおこがましい考えだと思った。というか照れた。こんなに体も大きくて力も強い私たちがまさかお姫さまだなんて、と。
「一番、きれいな人が白雪くんにキスすればいいんだよ」
 沈黙が訪れた。長い沈黙が。白雪くんはもう息をしていない。だれかが口を開いた。
「やっぱりミカじゃない? 一番背が低いし」

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