小説

『後日譚』遠藤大輔(『山月記』)

 一体何の話をしているのだろう。男はまだ話を飲み込めていない。

「あの人、別に自分の書いた小説が世に出て欲しいとか、売れてお金が欲しいとかそういうんじゃないんです」
「じゃあ何で書いてるんです?」
「少しでも自分が明るくなれるような、なんてことない日常の話や、希望がつまった話を書くことで、心のバランスをとっているんです」
「だからといって家族を置いていく必要はあるんですか?人の家族にとやかく言うつもりはないけど、あの姿を見たら黙っていられなくなりましたよ。家族なら、なおさらそばにいてやるべきなんじゃないかな」
「私たちと一緒にいると、どうしても想い出しちゃうらしいんです。記者だった頃の自分と、心が荒れて私たちに強く当たっていた自分を。だから離れて暮らすのが一番なんです」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよ。現実問題、あいつもあなたも生活に困っている」
「今までがあの人に甘え過ぎていたんです。私がずっと家にいたって、たまに高い買い物をしたって、広い家で十分に暮らせていたのはあの人が苦しんでいた代償なんです。私が働けば子供一人ぐらい何とかなるんです」
「何だかバカバカしくなってきたね。これじゃ本当にただのお節介だと言われたようなもんじゃないか。私はこれでもあいつの悲惨な現状を話すべきかどうか相当迷ったんだ」
「感謝しています」
「だったらね、最初から人の親切を受けたらいいじゃないですか。どうもって言って終わればいいじゃないですか」
「10年ぶりに顔をだした人に、野次馬みたいな感じで旦那の悪口を言われるのはたまりません。私たちはこれで十分幸せなんです」
「そんなのつよがりですよ。そうじゃなきゃ自分が捨てられたって、旦那の心を壊してしまったって惨めになるから、言い聞かせてるだけですよ」
「いけませんか」
「なにが可笑しいんですか」
「だって、あの人、今、普通に歩けてるんですよ」

 女は静かに微笑んだ。

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