小説

『シャーロットの日記』朝蔭あゆ(『浦島太郎』)

「とにかくカーテンを開けましょう。窓も開けて」
「ねえ、おばあさまは今、どこなの」
 私が部屋の中をそれとなく見回して尋ねる。ママはカーテンを片っ端から開けながら答えた。
「もう、教会に運んで頂いたんですって。私たちが到着するまで、ここにひとりで、ってわけにはいかないものね」
「それもそうね」
 シャッシャという、カーテンレールの小気味よい音が響く。その度に、窓ガラスから陽の光が差し込んだ。
「さて、今日一日ですっかり片付けてしまわなきゃ。シャーロット、ちょっと二階を見てきてくれない? ママはひとまず、ここにあるものを処分するから」
「わかったわ」
 私は頷いて、部屋の隅に見えた階段を上った。木でできた手すりが、長い年月を経て飴色に光っている。ここに、小さい頃のママや、おばあさまの手が触れたのだと思うと、なんだか愛しいような気持ちにさえなった。
 二階には、横並びに三つの部屋があった。一番奥のドアを開けると、客間のようだった。真ん中のドアには、大きな花の模様が彫ってある。開けてみると、子供部屋だった。ママの部屋だったのだろう。
 最後のドアの前に立った。きっとここが、おばあさまの部屋だ。私は初めて人に会うときのように緊張して(実際には、一度も会うことは叶わなかったが)、そのドアをゆっくりと開けた。
 ふわり、とかすかな花の香りが私を取り巻く。真っ直ぐに部屋の中を見ると、南向きの窓が、なぜだか大きく開け放たれていた。レースカーテンが風になびき、たった今誰かがそこから飛び出していったかのようだった。
「ここが、おばあさまの部屋……」
 私は部屋に足を踏み入れた。
 けして広くはないし、家具調度も簡素なものだった。ベッドと、その枕元にあるサイドテーブル。白い傘をかぶったスタンドライト。洋服箪笥。深い茶色のドレッサー。鏡は、丁寧に磨き上げられている。それらのどこかに手を触れたら、まだこの部屋の主の体温が残っているのではないか。そんな錯覚さえ覚えた。
 ベッドに腰掛けて、窓から外を眺める。庭の花々と、車で通ったポプラの並木道が遠くに望めた。絶え間なく流れ込む夏の風が、後れ毛をさらっていく。ママがこの家を去ったあと、きっとおばあさまも、こうして長い時をひとり過ごしたに違いなかった。
 私はふと、サイドテーブルに小さな引き出しが付いているのを見つけた。メッキのややはげた取っ手に、そっと手を掛ける。すると、中で何かが応えるようにカタリと音がした。ゆっくり手前に滑らせると、そこには分厚い黒い革の手帳がしまわれていた。

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