小説

『シャーロットの日記』朝蔭あゆ(『浦島太郎』)

ツギクルバナー

 私は、車の窓から延々続く田舎道の緑を眺めていた。爽やかに晴れ渡った空。夏の鮮やかな日差しが、そこかしこに惜しげもなく降り注いでいる。
「シャーロット、窓を閉めてちょうだい。虫が入るわ」
「はあい、ママ」
 運転席のママが、私を肘で小突いた。この田舎で育ったはずの彼女は、昆虫の類がこの世で一番苦手なのだった。ついでに言えば、二番目に嫌いなのはアリスという彼女自身の名前だった。
「古臭いし、ありきたりだし、どこへ行っても埋もれちゃうと思わない?」
 ママはよくそう言った。
「あとどのくらいで着くの」
 私が尋ねるとママはそうねえ、と言って肩をすくめた。
「もう二十年以上帰ってないもんだから。でももう少しよ」
「ふうん」
 私はまた、シートにもたれて窓の外を見やった。
 ママのママ、つまり私のおばあさまが亡くなったという知らせが届いたのは、今日の明け方のことだった。まだ外も暗いうちに鳴った電話を取ったママの表情は、よく見えなかった。
「シャーロット、あなたのおばあさまが亡くなったんですって。悪いけれど、一緒に来てちょうだい」
 彼女は、私にそう言った。その言葉で、私は生まれて初めて、自分のおばあさまの存在を知らされた。
「ほら、見えたわ。あの小さい家よ」
 ママが顎で指した方向に目をやると、煉瓦造りのちんまりとした家が目に入った。どこにでもありそうな、えび茶色の家。きっと最近まで誰かが(きっとおばあさまが)手入れをしていたのだろう。広い庭は、きちんと整えられている。
 車を庭の前に横付けして、私はママとその家の前に立った。ママはサングラスを額まで持ち上げ、家を見上げている。
「二度と帰ってこないと思っていたけれど、そうね、こういうこともあるのよね」
 さあ入りましょう、とママは私に言った。
「入れるの?」
「電話をくださったお医者さまが、おばあさまのお友達なの。私が来ると言ったら、鍵を開けておいてくれたわ」
 ドアノブに手を掛けると、確かに鍵は開いていた。かすかにキィという音を立てて、木製のドアが開く。家の中はカーテンを閉め切っていたために少し薄暗かったが、想像していたようなかび臭さや埃っぽさは全くない。本当につい昨日まで、ひとりの人がここで生きていたのだ。

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