小説

『千年に咲く花』丹一(落語『竹の水仙』『ねずみ』)

 時は幕末、黒船来航の頃。
 若い男が藤沢街道をノラクラ歩いていると、
「そこのお兄さん、ウチに泊まっておくれよ」
 と若い客引きの娘が声をかけた。
「オレかい?」と男が訊くと、
「そ、そうだよ、泊まっておくれよ」
 娘が困惑しながら答えたが、これは詮無いことである。なぜならば、男は極めて貧乏たらしい風体だったからだ。ボサボサに伸びた蓬髪に、廊下雑巾のように汚い着物。薄汚れた貌だが、人懐っこい笑顔だけはまぶしかった。
「それが宿屋かい? てっきり物置小屋かと思ったよ」
 しまった貧乏人だ、と舌打ちする娘の背後を、男はヒョイと覗きながら云った。
 いかにも鼠のお宿のような、物置小屋仕立ての今にも崩れそうな宿屋だ。これでは客が泊まらないだろう。それを証明するかのように、娘が歯噛みしながら躍起になって云った。
「物置小屋で悪かったね。これでも藤沢宿で有名な老舗だったんだよ」
「そうは見えないなァ」
「大きなお世話だよ。泊まるの? 泊まらないの?」
 見るからに銭無しだが、引っ込みがつかなくなった娘が伝法に訊いた。
「どうせ泊まるなら、あっちの方が良いかな」
 男は街道を挟んだ向かいの宿屋を見た。物置小屋と打って変わって、向かいの宿屋は檜造りの豪奢な建物で、綺麗所の女中が客引きをしていた。
「虎屋かい。あんな店が繁盛するなんて、ホントに世の中に神も仏もいないもんだよ」
「ふぅん。訳アリみたいだね」
「大アリのコンコンチキさ」
「ところで、酒は旨いかい?」
「あたしが酌をしてあげるよ」
「そいつは豪気だね。良し、泊めてもらおうか」
「ホントかい? お父つぁん、半年ぶりのお客さんだよ!」
 男の袖を引きながら、娘が一足飛びで叫んだ。
「ところで、お兄さんの名前は?」

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