小説

『ミスター・ワンダフル』中村吉郎(『クリスマス・キャロル』チャールズ・ディケンズ)

 倉地が帰ってからどれくらい時間が経っただろうか。勝はソファに沈み込んだまま、しばらく眠ってしまったらしい。オフィス内に人の気配を感じて目を開けると、そこには、20代後半ぐらいの赤いコートの女性が、クリスマス風のラッッピングをしたケーキの箱を持って立っていた。
「メリー・クリスマス!ミスター」
 勝にとっては、見覚えのある、いや、あり過ぎる、端正な顔と澄んだ声だ。
「お前は。まさか」
「忘れた訳じゃないでしょうね」
「すず、か。お前は本当にすずなのか?いや、そんな訳はない。すずは、30年前に事故で亡くなった筈だ」
「丸井さんが来た時は何の疑問も感じずに話していたあなたが、私の時は信じようとしないの?」
「やっぱりお前はすずだ。間違いない」
「気づくのが遅い」
「すず、30年ぶりだな。会いたかったよ、相変わらず綺麗だ」
 勝は30年振りに笑顔になってすずを抱き寄せた。意外なことに、勝は笑うと、この上なく優しそうな表情になる。
 すずは、勝がこの世で愛した唯一の女性であり、妻だった。30年前のクリスマス・イブに、勝と一緒にクリスマスを祝うためのケーキを買って家に帰る途中、車にはねられて亡くなった。車を運転していたのは、未成年で、しかも飲酒運転だった。悲嘆にくれた勝は、それまで経営していたデザインの会社を廃業し、すずを弔う気持ちそのままに、慰謝料で葬儀の仕事を始めて、30年間、人の死を看取り続けた。「ありがとう式典」の名前は、それまでの人生を共に過ごした妻すずへの感謝の気持ちを込めてつけた。寝食を忘れて働く勝の努力で会社の業績は上がり、同じ地域の葬儀社であった丸井葬儀社と合併して、「ありがとう式典丸井葬儀社」の名前で、代々続く丸井葬儀社の社長・丸井英孝との共同経営で地域に密着した活動を続けて来た。人の死を看取る仕事は、情がなければ出来ないが、情に流されても不可能だ。いつしか、勝は、毒舌で皮肉屋と言われる様になっていった。
「久しぶり、ミスター・ワンダフル」
「ミスター・ワンダフルとは、素晴らしくケチという皮肉のこもったあだ名だよ」
「そうじゃないわよ。私が本心から、大好きな勝につけたニックネームなのに、いつの間にか皆の勝手な解釈が一人歩きしているみたいね」
「そう言えば、最初は君にそう言われていたんだよな。あれから俺も変わってしまった」
「そんなに変わった様には見えないけどね。これ、クリスマス・プレゼント」

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