小説

『綱』大前粟生(『蜘蛛の糸』芥川龍之介)

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 照明がこときれて、真っ暗になったけど、まだにおいがするから、66番の男は生きている。反省しないといけない。タイプの男がいるからって、ほいほいついていく癖、いい加減にやめないと。綱を掴む感触と、自分の息遣いだけがある。でも、こんなに綱を登れるものだとは思っていなかった。しんどいことはしんどいが、綱に手をかけてから、体が軽い。僕は、僕たちは実はもう死んでいて、だから軽いんじゃないかなんて考える。死んでいるのに、どこかに逃げようとして、綱を登っている。地獄から抜け出すみたいに、っていうのは、いいすぎかな。でもまぁ、生きていても地獄みたいなものだ。その地獄にまた、子どもを残そうとしているのだから、やばいなあ。
018
 自分の精子が優秀だっていわれても、そこまでうれしくない。でも、このテストで選ばれたら、表彰式とかあるかもしれないし、そしたらモテるようになるかな。童貞、いいかげん捨てたいな。
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 たとえば、ここに閉じ込められたとする。全然、ありえないことじゃない。現に、実際今、おれたちはここから逃げられない。入口の扉は閉められていて、ヒスを起こしたやつが揺さぶっても、びくともしていない。荷物はぜんぶ外のロッカーに預けてあるから、だれとも連絡を取れない。たくさんの男たちで、助けあっていくしかない。それで、予想されるべきパターンとして、食欲の問題と性欲の問題がある。そこを丹念に描写すれば――。いや、やっぱりありきたりだ。これを脚本にするのは、ちょっとおれにはきつい。可能性が失われたところからはじめるにはまだ力がないと思うし、そういう映画を魅力的にするには、俳優を真に迫らせないといけない。やっぱり、映画の学校とかに通って、一から勉強した方がいいんだろうなあ。金がいる、つらい。でも、ここにいるっていう経験は財産になると思うから、体力テストが終わったらノートにたくさんメモしよう。あ、今、受験者にインタビューとかしたらいいんじゃないか?
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 おーい、だれかー、だれかたすけてくれー
477
 まだ、下を見る余裕はある。自分の体3つ分くらいの高さだ。たくさんのつむじが見える。右巻き、左巻き。てっぺんから離れたところにつむじがある人もけっこういる。黒髪が一番多くて、その次に茶髪、その次に金髪。緑色と青色をさしている若い子や、銀髪の子もいる。そういう人たちはミュージシャンか美大生か、なにかしら創作をしている人だろうな、と思ってしまうけど、実はぜんぜんちがうかもしれない。見た目のイメージにふりまわされている、とよく思う。見た目と中身って、そんなには影響しあっていないだろう。影響しあっているように、ちょっと過剰なくらい僕たちは思ってしまっていて、それはドラマとかのせいなのか、それともそう教育されてきたのか、テレビに教育されてきたのか。つむじを見れて満足したので綱から降りはじめる。おれはつむじフェチだ。床に足がつく寸前、一度登った綱を、落ちる以外であきらめるのはアリなのだろうか、と思ってしまう。そう思ってしまったから、また登りはじめる。

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