小説

『綱』大前粟生(『蜘蛛の糸』芥川龍之介)

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 筆記テストでは最後にアメリカンジョークを創作する問題があったから、体力テストにもなにかひっかけがあるはずだ。実はこれは体力テストではなくて、適応力を試すテストなのかもしれないし、綱はブラフで、本当の道は別にあるのかもしれない。さりげなく、壁の模様をなぞりまわっても、なんにもない。じゃあ、下か? と思って、歩きまわってみる。タイルがごごご、と動いて、下に道が開かれるのを想像する。この下にはまた男たちがいて、僕の靴の裏から一本の綱が垂れていてそれを男たちが登っている。登らない男たちもいて、その男たちの靴の裏からまた――
052
 いや、こんなことしなくていいのに。オリンピック選手とか、棋士とか学者とかの精子と卵子を合わせたらいいのに。遺伝子組み換えっていうのかな、ちがうかな。子ども(遺伝子組み換え)、子ども(遺伝子組み換えでない)。そうやって子どもを増やしてさ、セックスはスポーツ感覚でやったらいいと思うんだ。
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 けっこう順調に登ってた。体、鍛えてるしさ。たぶん、20メートルくらいのあたりかな、綱の上に、一匹の蜘蛛がいた。この、蜘蛛の体の色ってなに色かな、黒ではないし、茶色ともいいきれない。黒と茶色の中間みたいな、鰻みたいな、あぁ、鰻色かなぁ、と思っていると、蜘蛛が腕に這い上がってきた。はじめは気にしないようにして登っていたが、蜘蛛はどんどん上がり、顔まできて、目のなかに入ろうとしていた。だから、蜘蛛を手で払おうとしたんだ。そう、払おうとしたから、おれは落ちた。片方の手が綱を掴んだまま、ずり落ちて、摩擦で手がめくれにめくれ、何メートルか綱に血がついた。
080
 こんな面倒くさいことはしなくていい。みんな、やればいい。セックスしたらいい。それで、子どもを産めばいい。気持ちいい。
009
 きっと、たくさん、さりげなく取り付けられたカメラの映像はどこかに中継されている。たぶん、女が僕たちを見ている。優れた卵子を持つ女が僕を見て、審査している。だから僕は、今、とてもいい笑顔をしている。
450
 セックス、たまにおれはセックスをしているとき、自分がなんで裸でこうやっているのかがわからなくなる。なんか、笑けてくる。なんだこの体勢って。たまに、セックスしてるってことが気持ち悪くなって、吐きそうになることもある。そういう人って、少なくないと思う。だからおれは、面倒くさいから綱は登らないけど、このテストはアリだと思う。このテストが人工授精の発展に役だったらいいと思う。

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