小説

『綱』大前粟生(『蜘蛛の糸』芥川龍之介)

ツギクルバナー

007
 超高層ビルのすべての床と天井をぶちぬいて吹き抜けにしたみたいに虚ろで、高い。いや、もっと高いように見える、この会場は。照明が設置されているのは中ごろの壁までのようで、綱を上に登るにつれて、だんだん闇がたちこめてくる。ちょうど今、最後の照明の横を通り抜けた。腕は疲れ切っていて、ほとんどもう、意志だけで綱を登っている。辺りは暗く、先になにがあるのだろう、隣の綱さえ見えなくなる。受験者が綱から落ちる悲鳴が聞こえて、そのために、ありえなかったはずの、聞こえなかったはずの、綱が大きなはさみでぷつんと切られる音が頭をめぐる。下を見ると照明がたゆたっていて、光があるというだけで希望に見える。登っているうちにできはじめた指のまめが潰れ、綱に血が滲んでいく。てのひらはたぶん、クレーターのようになっている。見ようと手を目のまえにかざすと、僕は落ちるだろう。下へ、下にいる、男たちのなかへ。
356
 天井から、いや、空といっていいほど高いところから、綱が何本も降りてきた。筆記テストの次は体力テストだろうと、だれもが予想していたけど、まさか綱登りなんて思っていなかった。最初はだれも動かなかった。アナウンスを待っていた。なんのアナウンスもないまま、何分かが過ぎた。動かずにポイントが0のままより、綱を登った途中で落とされるリスクの方がはるかに大きい。でも、だれかが登りはじめた。
227
 筆記テストはさんざんだった。数学なんてもう忘れていたし、分数の割り算さえろくにできなかった。だから、綱登りなんて単純でありがたかった。綱は何本もあったけど、受験者全員分あるようには見えなかった。だから、早い者勝ちだ。僕はすぐに登ろうと思ったけど、綱に手をかけた途端、男たちの視線が突き刺さってきた。そうか、こいつら、だれかを基準にしたいんだ。綱になにか罠が仕掛けられていないか、だれかが試すのを待っていたんだ。頭いいな、こいつら。
033
 おまえらバカかよ!
234
 少子化は僕たちの問題だ。子どもがたくさんいなければ、老後の僕たちはどうなる? 子どもの量はもちろん必要だが、質も大事だ。僕はこの選別に賛成だ。でも、まさか自分が参加させられるなんて思っていなかった。
503
 いや、綱なんて登らない。まぁ、通知がきて、有給休暇とは別に仕事が休めてよかったとは思うけど、ここまでする義理はない。僕は別に残らなくても大丈夫だ。それより、いつ終わるんだろう、テストは。早く帰りたい。

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