小説

『オクリモノ』村越呂美(『賢者の贈りもの』O.ヘンリー)

 そりゃ、会社を辞めたいと言ったことはありますよ。そんなの誰だってあるでしょう? あなたは出版社にお勤めになって何年ですか? 10年? そうしたら、こんな会社辞めてやるって思ったことは、一度や二度じゃないでしょう? 
 会社勤めをしていたら、「会社を辞めたい」なんて、口癖のひとつみたいなもんじゃないですか。いちいち真に受けないでくださいよ。
 それに、僕のサラリーマン生活は後2年で終わるのがわかっていましたからね。35歳になればうちの会社に役員として戻ることが決まっていたんです。それが、母がこんなことになってしまって、ちょっと予定が早まったというだけのことですよ。
 周子と交際を続けるなら、会社は継がせないと母が言っていた? 
 叔父がそう言っているんですか。
 母が叔父に、周子のことで愚痴を言うこともあったのかもしれませんね。でも、母も最近では、僕と周子のことを認めてくれていたんですよ。まあ、渋々というところではあったんでしょうけどね。母は家同士のつりあいというか、格式みたいなことにこだわるところがありましたからね。あの人は名家出身で、名門女子大を出ているお嬢様ですから、周子のように高卒で水商売の女性を、息子の交際相手として喜んで受け入れろと言っても、それは無理な相談でしょう。
 でも、だからと言って、いまどき家柄や学歴を理由に、子どもの恋愛に反対するほど、うちの母は古くさい人間じゃありませんよ。
 それに、いくら交際を反対されているからって殺してどうなるもんでもないでしょう? 周子が母を殺す理由なんて、見当もつきませんよ。だいたい、どうして母と周子が会っていたのかも、僕にはわからないんですから。
 僕だって参っているんです。母が殺されて、その犯人が自分の恋人だなんて、まさか自分の人生にそんなサスペンスドラマみたいなことが起こるとは、想像もしていませんでした。
 会社ですか? 僕が母の後を継いで社長になります。叔父には引退してもらうことになりました。母が亡くなってから、叔父にはずいぶん大変な思いをさせてしまいましたからね、ゆっくりしてもらいたいと思いましてね。
 これからしばらく大変ですよ。このくらいでいいですか? できればもう、そっとしておいてください。

──被害者の義弟・西野雅也(61)の証言
 義姉とは兄が死んだ後も、親しくしていました。会社では社長と呼んでいましたが、プライベートでは義姉さんと呼んでいました。義姉さんが、小柳周子と近々会うつもりだという話は、聞いていました。清彦君のことで話を聞きたかったようです。まさこんなことになるなんて、思わなかったので、私も一度会うのもいいのではないかと思っていたんですが、やはり、止めるべきでした。本当に後悔しています。

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