小説

『約7000羽』大前粟生(『ヨリンデとヨリンゲル(グリム童話) 』)

 

 スプレーの霧が床に落ち切ると、おばあさんは餌と水をくれる。先に餌を食べさせてからスプレーをすればいいじゃないか、とあなたは思うだろうか。いや、先にスプレーをしておくべきなのだ。ご飯の前には手を洗うのだから。一羽一羽の鳥カゴの扉が開かれて、おばあさんの小さい手のひらが入ってくる。つぼみのように丸めた皺だらけの手のひらの上で、黄色い粒が輝いている。私は新入りだからか、手前の方にいたから、早めに餌を食べることができた。鳥の餌を食べるのははじめてだった。鉛筆の芯のような色の嘴がおばあさんの手をつつくと、おばあさんはくすぐられたみたいな顔をする。黄色い顔のなかで、皺が動いている。ころころと道を変える迷路みたいだ。この森みたいだ。餌は、そんなにまずくはない。ただちょっと、味気がないだけ。穀物の味が主張しすぎていて、喉が渇くけど、カゴに取りつけられた容器におばあさんが水を入れてくれている。プラスチックでできた容器に顔を近づけると、私の姿がうっすらと反射している。私はそれを、見ない方がいいのだろう。でも、見ずにはいられない。白いお腹、茶色い顔に、翼に背中。羽束が層を作っていて、羽の生え際はどうなっているのだろう。見てみようとするが、どうすればいいのだろう。私は猫みたいに足で体を掻くところをイメージするが、体はそうは動かない。嘴で翼の下の羽をめくってみようとする。これもうまくいかない。たぶん、まだ体が馴染んでいないのだ。そうなのだろう。特に、目が。私が見ている色はまだ、人間だったときに見ていた色だ。鳥が見ている色は、こうじゃないはずだ。だが、果たして時間が経てば、私は完全に鳥になるのだろうか。鳥に変えられた約7000の女たちは、なにを考えているのだろう。人間として考えているのだろうか。鳥として考えるのだろうか。鳥はなにを考えるのだろう。考えるのだろうか。廊下から一羽のフクロウが飛んできて、おばあさんの肩にとまった。おばあさんの目が少し虚ろになった気がする。気がするのは、腰が曲がり過ぎておばあさんの顔が下を向いているからだ。フクロウは私をじっと見つめ、おばあさんが口を開く。
「こわかっただろうな。急に鳥に変えられて、こんなところに連れ去られて。でも、おまえを帰すわけにはいかないよ。その方がおまえのためなんだよ。体の傷やあざが消えるまでは、鳥のままでいておくれ。おまえのために」

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