小説

『主人公』あおきゆか(『機械』横光利一)

 俺たちはどんどん森の奥深くへと入っていった。どこまで行っても同じような形の木、気持ちよくぱりぱりと割れる落ち葉、棘ひとつない切り株がつづく。木漏れ日と心地よい風、永遠に沈まない午後二時の太陽といった具合で、やはり森に変化はなかった。すると突然屋敷が振り返って、おまえら、俺がこんなところで楽しくハイキングするつもりだっと本気で思っていたのかと言い放った。いつまであの能天気主婦の脳内お天気につき合うつもりだ、お前ら、自分の立ち位置とか新しい役回りとかドアノブだのゴミの匂いだのでくだらねえ戦争していたが、俺はもうこの小説の中のループに残っているつもりはない。俺が驚くと、だからこの森に来たのかと聞くと、屋敷は、ここならあいつの手は届かない。なんたってお花畑頭で適当につくりやがった本筋とは関係のない森だからなと言うのだ。ここをメタクソにして話を混濁させてしまえば、違うところに行けるかもしれない、世の中にはいくらでも本物の作家がいると言う屋敷に、お、おれはそういうエンターテイメント的なやつは苦手だし主人の小説なら所詮誰にも見られることはないけど、そんな何万もの人が見るようなものは、いろんなことをしなきゃならないし登場人物だってみんな多彩だったり苦労していたりするだろう。俺はそういうことじゃなくごく平凡でいいんだ、だいいちあの人には小説しかないんだぞ。俺たちの独楽を動かしてああだこうだ考えている時間があの人にとっては生きるってことなんだ。いや、もうひとつの生きるってことか。それがないとあの人は絶望しちまうんだ。俺はただ、その中でいいところにいたい、あの人の思考の中心人物でありたかっただけなんだ。それを・・・俺の話を苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた屋敷だが、突然足元の落ち葉をけちらかすとすたすたと歩きだしてしまった。二人のやりとりをめずらしく黙って聞いていた軽部が、俺もあいつの意見に賛成だがあいつと行くのは気分が乗らない、しかしこのまま行かせるわけにもいかないから追いかけることにするよと言う。俺たちは屋敷の跡を追って再び歩きだした。どこからか水の音が聞こえてきて、アメンボだの鮎だのが泳いでいる牧歌的な川でも流れているのかと思ったらだんだんと水音は高くなりしまいには大音響で鳴り響き、俺と軽部は顔を見合わせた。一足先に行ってしまった屋敷はその水音のあたりにいるはずだった。足元に注意しながら歩いて行くと、たしかに川は流れていたが少しも牧歌的ではなく、轟轟という水音がさらに高まり、突然滝が現れた。屋敷はどこにもいない。おそるおそるのぞき込むと滝つぼの下に首がおかしな方向にねじ曲がっている屋敷の体があり一目で死んでいるとわかった。しかし俺にはどうしもてわからなかった。どうして森に滝つぼなどあったのか、なぜ屋敷は豹変したのかそして死んだのか。あれから俺と軽部はいまだに森を彷徨っている。この森から出ることはできるだろうか。できたとして、俺たちに帰る家はあるのだろうか。

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