小説

『主人公』あおきゆか(『機械』横光利一)

 軽部のドアノブは相変わらずだったが、屋敷が越してきたおかげで状況は変わってきた。物語ではこの三人が親しくなって近所に住む女子大生を誘拐することになっている。しかし誘拐はおろか軽犯罪すら経験のない俺が間違って女子大生の母親を誘拐してしまう。その後俺=主人公がその主婦のことを好きになるという途中からメロドラマみたいな展開が待っているのだが、しょせん俺は主人にとって主人公になろうとも痴漢とか誘拐魔という立ち位置なのだろうか。彼女は己のなかにあるどろどろとしたものを俺をつかって排出したいだけなのか。それならそれでいい、そのほうが主人とご主人の関係よりずっと深い結びつきを感じることができるなんて思っている俺も、まるで今回の小説の主人公そのものだ。しかしいざなってみると、華やかで重要な立場にいると思っていた主人公が、現実にはただ感情の発露に利用され、おしゃべりが多い分かえって顔が隠れている。誘拐を計画したのはパン屋の回転資金のために金が欲しい軽部だし、誘拐の脇で女子大生と恋仲になって駆け落ちするのは屋敷だ。こんなことなら脇役の方が良かった。今まで十二作連続で主人公をやってきた軽部はそこのところどう思っているのか聞いてみたくもあるが、所詮お前なんか主人公に向いていないんだと笑われるのが落ちである。
 阿保といってもいいほど明るい性格が幸いし、嫉妬されたり嫌われることのない屋敷の登場で、軽部の様子が変わってきた。もともと屋敷=Cは内気で地味な性格だったのが、今回本性とまったく違う役を振り当てられた反動からか必要以上に明るくふるまっているように見えた。それが屋敷には癇に障る。軽部の生活音に耳をとがらせていた俺も、やつの憎しみが俺から屋敷にうつったことで自分の感情を横に置いて気兼ねなく人の憎悪に身を委ねられるという不思議な喜びを感じて、今ではもう軽部にひそかな親しみすら感じるようになっていた。それでいて屋敷には軽部のような憎しみを感じないのは、やはり今は自分が主人公だからなのだろうか。

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